■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/07/27/mh282513.html 



大法の厳粛性について若い同修の交流

文/中国の大法弟子 意堅

(明慧日本)最近、明慧ネットに青年大法弟子の修煉状態に関する交流文が何篇も掲載されて、私はとても感慨深かったです。長い間、この年頃の修煉状況についての交流文は少なかったのです。これは、すなわち私たち若い同修がまだまだ真剣に修煉に対処していないということではないでしょうか? 自分自身への厳しさが足りないため、ずっと修煉してもしていないようで、片手で神を掴んで片手で人を握って放しません。正法はもう最後になったものの、自分自身は未だに時間の緊迫性と正法の厳粛性を感じず、他の精進している同修との差が一段と開き、正法の進展に足を引っ張ってしまいました。この問題は重大で、深く自分の良くないところを探し出して、同修と交流したいと思います。

 一、煉功の問題

 私は今年29歳です。1996年、まだ中学校卒業のころに、大法の修煉を始めました。もう小さくありませんが、その時まだ小弟子と自称していました。親に甘えて、顕示心と歓喜心もありました。当時の私は大人との差がいろいろありました。例えば、勉強が忙しくてめったに集団学法、煉功をせず、ひいては普段の煉功の時間も保障できませんでした。毎日の煉功を続けることができず、最初から大法弟子の基本を守りませんでした。この良くない癖はずっといままで続いています。ずっと仕事が忙しいといって、基本的な毎日の煉功も堅持しておらず、明慧ネットの朝の集団煉功なんて言うまでもありません。ずっと朝の煉功の意義を理解せず、自分は定年退職の人と違って特別忙しいからと思い込んでいました。この一念だけで大きな漏れになります。心性の向上が一番肝心だからと言って煉功したくないことは、まず心性が高くなく、さらに自分の身体の演化もできず、安逸心も生じました。表面上の楽なことは、実際私に害を与えました。今は気づきました。これからいろいろな障害を突破して、全体を円容して、大法弟子の朝の煉功に参加し、これまでの煉功不足を補います。

 二、発正念の問題

 問題の厳粛性を認識してから、私は絶えず合格した大法弟子の基準に基づいて自分を律し、そして自分がとても劣っており、以前の私は大法弟子として名前だけだったと分かりました。師父はずっと発正念の重要性を説いておられたものの、いまだに師父の要求どおりに従っていません。毎日の4回の正時の正念もおろそかになり、よく発正念の途中で寝てしまいます。そして、発正念のときも真剣にしておらず、集中できず、効果がよくないし重視していませんでした。今考えてみると、これも大きな漏れであると分かりました。自分の怠惰で邪悪の生命に逃げ場所を作ってしまい、私たちの全体が邪悪を一掃することに影響を与えました。今はこれらの問題について分かったので、私はこれから真剣に発正念し、全体の邪悪を消滅する一分子になるように努めたいと思います。

 三、親族の同修との関係の問題

 青年同修の多くは、小さいときから親と一緒に修煉してきました。親たちは修煉の道にとてもよい影響を与えてくれましたが、同時に一つも問題も伴っています。それは、若い同修は少ないのですが、皆一緒に交流するときにだいたいの人が、自分の親に対して強烈な情と依頼の心を抱えています。それによって、自分の居場所を正しく置けず、対立も生じて法にふさわしくないことが発生しました。例えば、普段から自分を修煉者として自覚を持たず、自分が大法弟子の子だと思い込んだり、親と一緒にいるときに口を修めず、わがままにしたり、常人のことについて話しすぎで、親の修煉状態に影響を与えたりします。これで自分も修煉者であり、親たちとの関係は同修の関係であることを忘れました。実は、皆が法に基づいてともに精進し、互いに妨害、影響を与えないようにしなければなりません。私はこれから厳しく自分を律して、情に左右されず、親の自分に対するしつけに頼ってもいけません。さらに、自分も大法弟子だという自覚をもって、自分の生命に責任を持って大法の要求に従わなければなりません。

 小さいときにできた良くない観念は、勉強が第一で、仕事が大事だという考えです。これによって、ずっと大法を第一にしておらず、自分の真の使命と最も重要なことが薄れてしまいます。「真に大法を修し、唯此れだけを大と為す、大法に同化し、他年必ずや成る」(『洪吟』)と師父がおっしゃいましたので、私はさらに口実をつけてはいけません。大法を第一にして、考えや行動なども全部大法の要求にしたがって、どんな話をしては良くないのか、どんなことをしてはならないのかと真剣に考えて、初めて大法弟子の行為になります。修煉は厳粛なものであり、師父に要求された三つのことを100%やらなければなりません。比べてみると、精進している同修との差はすでに大きく開きました。『転法輪』の中に次の話もあります。「どこの講習会でも、落後する人、悟りが少し遅れている人がどうしてもいます」以前は、自分がまだ良い方だと思い込んでいましたが、今見るとまさに悟りが遅れている人です。私も大法弟子です。若くても自分の位置を正しく置かなければなりません。自分を正しく認識しないことにより、大きな障害をもたらしました。

 他の若い同修は多少、私と同じ誤解を持っているかもしれませんので、ここで自分の体験を書き出して皆と共有したいです。私たちは皆大法に同化して、師に手伝って法を正すことを生命の中の最も重要なこととして、常人の複雑な幻像から脱け出て、自分の使命を果たし、威徳を樹立したいと思います。

 次元が限られているため、適さないところはご指摘ください。

 2010年7月27日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/7/16/227056.html

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