「着実に修める」ことをしっかり行なう
(明慧日本)最近、私の周りで起きたことは大きな事ではないのですが、修煉者としていかに着実に修めるか、着実に修めることの内包について体験しました。
一つは、娘の玉の腕輪が割れたことです。ある日、玉の腕輪ケースが空になっていることに気付いて娘に尋ねました。娘は忘れちゃったと言うので、それなら探して元に戻してねと私は言いました。2日後、まだそのままケースだけがあったので、落として割ってしまったのでしょう、と聞きました。娘は怯えてうなずきました。すると、私の利益を求める心、恨みの心がすぐに湧いてきて、「これは人が香港で買ってきてくれて、あなたにあげたのに、あなたは大事にしないなんて」と愚痴をこぼしました。娘を叱る過程で自分は少し言いすぎて悪かったと気づいたので、徐々に穏やかに話すと、娘も自分が間違って割ったと認め、謝りました。当時、学法して師父の教えを思いだしたため、それ以上は何も言いませんでした。
もう一つは、人からもらった茶道具を割ったことです。夏になって、竹の座布団を探していました。とても高いところに置いたため、夫に頼みましたが、夫は返事をしませんでした。十数分後、もう一回促しましたが、夫は学法しているためまだ応じませんでした。では自分でやるしかないとぶつぶつ言うと、夫はまだ知らんふりをしています。何も考えずにクローゼットに入って、背を伸ばして上の物を取ろうとしましたが、物が滑り落ちて割れました。それは茶道具と分かって、「大変、大損だ」と叫びました。夫もやってきて、「しかたがない、いいよ」と言いました。この一言で、私は夫への不平の心が急に引き起こされました。
これは偶然ではないだろうと少し思ったものの、その場で文句を言い、常人の道理をくどくど言いました。理性をもって対処することができず、完全に人としての魔性をもって修煉者の理性を抑制してしまいました。
その直後に静かに学法しようとしてもできなくなりました。外を散歩しましたが、自分の心が落ち着かず、良くない念がいっぱいあるため、私の周りに警察のパトカーが頻繁に往来して、精神病の人もずっと騒いでいました。野次馬もいて、私は旧勢力が按排した道を歩んでいるのではないかと意識しました。先の事をすこし振り返って考えたら、やはり自分が全く修煉者としの自覚を持たず、ずっと常人の方式で対処していたと分かりました。
罵られても罵り返さず、殴られても殴り返さない法理を思い出しました。そして、師父の『道法』を一通り暗唱しました。その後、私はすっかり変わって、清々しい気持ちで家に帰りました。途中で数年来会っていなかった同僚と会ったとき、彼女は共産党員なので、私は発正念をしてその背後の悪党の要素を根絶してから真相を伝え、最後に三退も勧めました。彼女は喜んで受け入れ、大法を信じました。この事を通じて、師父と法を信じることの殊勝さと大法の威厳を感じ、修煉者として着実に修めることの重要性も分かりました。
家に着いて、やるべきことをやって、食事後、集団学法に行きました。その日のことは何もなかったようにしていましたが、やはり同修にばれました。学法の後に同修が、「どうしたの、学法の時に居眠りしていたよ」と聞きました。何回も聞かれたため、私はもう自分のことを公に言わなければならないと思って、告白しました。同修は、私が内に向けて探さず外に求めていると指摘しました。
そうですね、2つの出来事とも私の根本的な問題を暴露しました。表面上では事件を沈静しましたが、変異した観念や良くない念はまだまだ残っています。真に着実に修めておらず、利益や不平の心および良い生活したがる心が全部現れました。世間の物質への執着および欲望を根本的に放下せず、適当に覆い隠したのです。これは着実に修めていません。
深く掘り出して、問題の根本的な原因が分かりました。修煉の中でトラブルがあって、喜ばしくないことや利益の上で損をする時に苦を感じるのは、修煉ではありません。最も重要なのは常人の心を放下することで、しっかり着実に修めることこそ修煉者の基本です。なぜ、私のところでこの2つの出来事が表れたかと言うと、数年来、私は病や悪党の迫害を受けて、魔難を乗り越えました。ここで早く追いつくようにさせてくれたのです。現実の利益に面して、突破して、本当に昇華させるためだと思いました。
人に指摘された時や何かが起きた時に心が動じたら、執着をなくす機会です。認識したら向上するのです。この2つの出来事を通じて、自分がまだ世間の物質利益への執着を持っており、まだ同修との差が大きく、師父に要求された基準から離れていると分かりました。
修煉は人心を直接指しているのです。大法修煉は、真に物質的なものを失うではなく、その無形で、生々世々の中で蓄積した良くない考えをなくして、そしていろいろな欲望をきれいに取り除かなければならないのです。これも修煉者として必ずしなければならないことです。
修煉者としてしっかりと着実に修めることは重要です。ここまで悟ったらしっかりやるしかありません。しっかりできたら、その隠された物質的な要素もなくなり、家庭環境も良くなり、交流して家族全体も向上しました。
2010年7月28日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/17/227100.html)
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