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師父に与えられた道を正しく歩む(二)


文/アメリカの大法弟子

(明慧日本)これは師父の啓示だと悟りました。私たちの生命はすべて師父から授けられたのです。地獄からすくいあげられ、正法の今日まで歩んできました。これはすべて師父がなさっていることです。小さな私はその中ですべきことをしているだけで、大したことではないのです。「私」を放棄することはそんなに難しいことでしょうか。

 自分が歩んできた道は、師父のご加護があったからこそ、一歩一歩 歩んで来ることができたのではないでしょうか。私はいっそう自分のちっぽけさを感じ、師父がいらっしゃらなければ、今日まで歩んで来ることはできなかったでしょう。私は、すべてのプロジェクトにおいて法を実証する中で、自分を高く置いてはならず、私のすべては師父と大法が授けてくださったのです。プロジェクトの協調人として、自我を放棄する必要があり、すべてのプロジェクトにうまく円融し、同修の不足を受け入れ、そして、ようやく一つの全体を形成することができ、長所を取り入れ、短所を補い、衆生を救い済度することができるのです。

 師父は次のようにおっしゃいました。「法を正すことはあなたの智慧がそこまで達することを必要としているため、自分がいかに有能かと思わないでください。私に自分の腕を披露した学習者がいますが、実は私が思うには、これは皆私があなたに与えたもので、見る必要などはありません」(『二〇〇三年旧正月での説法』)

 この経文を読むたびに、私はますます自分がちっぽけな者だと感じ、すべては師父が掌握されています。私にできるのはしっかりと修め、自我を放棄することです。ですから、大きな執着心を持っている同修に出会ったら、できるだけ指摘し、恨むことなく、心から相手のことを思って交流し、共に向上するようはかります。

 全体を円融すれば、大法弟子の最大の力を発揮できる

 私たちの地域の神韻の営業は、小さい部分に分け、一人ひとりがその一部を担当します。毎週みんなが一緒に交流し、自分の担当部分の進展状況を報告します。このやり方に問題はありませんが、各担当者は自分の担当部分しか考えておらず、他の同修の部分には関心を持ちません。私もそうでした。毎回の交流は他の同修の話を聞くだけでした。

 この問題がついに表面化しました。公演まで2カ月に迫った時、宿泊を担当している同修は多くのホテルに連絡したのですが、順調にいきませんでした。その同修はみんなで交流して、発正念し、あらゆる方法を考えるよう提案しました。

 私は、これは自分自身の問題だと悟りました。この同修は特に能力のある人だと感じ、この同修にはできる、彼に任せようと無意識のうちに思ってしまいました。実際、これは人為的に彼と距離を置き、彼に対して気を使わなくてもよいようにさせました。そこで、邪悪に隙を突かれてしまいました。師父は私たちに無条件で内へ向かって探すように説かれています。そこで、私たちは正念を持ち、無条件でそれぞれのプロジェクトを支えました。これが一つの全体を円融し、金剛不破の表れです。実は、この問題は自分自身に原因があって起きたのです。

 実際、このように関心を持つということは、衆生を救い済度する基本です。神韻の営業をする時、会うすべての人はすべて救い済度する対象です。自分がしていることは衆生を救い済度していることです。他の同修のしていることも衆生を救い済度しています。もし、自分の基点を正しく置くならば、他のプロジェクトに関心を持たないという状態は表れません。直接していなくても、関心を持つということは、良い作用があります。

 (続く)

  2010年8月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/25/227518.html

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