痛ましい教訓を大切にすべき
(明慧日本)10年間の修煉を通して、私は同修達が隙に乗じられたのを多く見ました。ひどい時は大きな代価が払われたのです。ここで私は、知っている数件の出来事を書き出して、皆さんと一緒に教訓を生かしたいと思います。
その一
同修Aさんは写真撮影の愛好家です。ある日、写真撮影の愛好家の常人数人と同伴して、ある観光地に辿り着いて、古い寺を見つけました。同伴の常人らが急いで線香を供えて拝んでいました。Aさんは、大法を修煉しているので拝んではいけないと思い、そばで慰霊用の紙銭を折っている人がいるのを見て近寄り、その人に真相を伝え、三退させました。しかし離れる時、Aさんは寺の神々の像の前を通り、みかんを一個無意識に取り出して、「食べてください」と言って供え机の上に置き、足を止めずにその場を去りました。
しかし、当日の夜、Aさんは大きいニシキヘビ一匹が彼に飛びかかってくる夢を見ました。危ない時に彼は、大声で「師父、助けて」と叫び、その大蛇はすぐさま鉄の筒に落ち込み、師父が彼に鉄棒を一つ与えられ、彼はその大蛇をやっつけたそうです。
この件を通してAさんは、「心にないことをやったように見えるのですが、『食べてください』とは、即ち拝むことと求めることと同じなので、これらの憑き物がやってきたのです」と悟りました。
その二
同修Bさんは若者で、穏やかな性格をしていて幼いころから聡明でした。佛が大好きで、佛経の本を多く読んでいましたが、佛教の居士になるまでには至りませんでした。1998年、Bさんは法輪功を修煉し始めました。
ある日彼は、訪ねてきた友人に真相を伝えましたが、受け入れてもらえず、逆に嫌味を言われました。彼は、この友人の人柄が良いと思ったので、自分は多くの佛経の本を持っており、ずっと処分を惜しんでいたので、あなたに譲ります、と言って、佛経の本を一冊ずつめくって見ていたというのです。
すると当日、隙に乗じられて、学法することもできなくなり、資料点の機械もすべて故障していました。
実は、師父は説法の中でこの件について、法理をはっきりと説かれました。私の理解によると、彼には三つの間違いがありました。一つ目は、大法を修煉し始めたので、佛経の本を早い段階で処分すべきでした。二つ目は、末法時期の佛経の背後には良くない要素が多くあり、めくるべきではなかったのです。三つ目は、大法弟子は法輪大法を広めるべきで、なぜ佛経を広めるのでしょうか? 友人に佛経を譲ることは、実のところ、その友人を害することになるのです。
その三
これは最も痛ましい教訓です。彼は1998年、大法を修煉し始め、理性から大法をしっかりと認識してない中で、凄まじい迫害運動が全国に展開し始めました。しかし、大法が素晴らしいものだと思った彼は、修煉を止めませんでした。彼は多くの執着心を抱えて、大法について理性的に認識できず、修煉に対する厳粛さが足りず、テレビを見ながら煉功していたのです。家族の同修が再三にわたって忠告したにも関わらず、彼は依然として自分の思うがままにやっていました。
不幸なことが起きました。ある日、彼は町を歩いている時、ある人から一冊の小冊子をもらって帰りました。当日の夜、彼は大声で「頭が痛い」と叫んだ途端、意識を失いました。人間社会から見れば、即ち脳出血の症状です。以後、彼は植物人間となりました。同修の家族は、彼が持って帰ってきたのは中共を称える小冊子だったことが分かりました。そして、彼は2009年にこの世を去りました。彼の生命の行方はどのようになるのでしょう。この歴史上にない機縁をこのように失い、とても痛ましい出来事でした。
もう一件は、同修Cさんは1997年から大法を修煉し始め、すでに10数年を経て古い弟子と言えるので、彼女は現地で影響を持っていました。しかし、ずっと病魔に襲われて苦しんでいました。ある日、私は彼女を訪ねました。家族の同修がドアを開けてくれて、家に入ると、Cさんがテレビを見ながら静功をやっているのを見ました。私は驚いて、すぐにCさんに上記の例を挙げて注意しました。
これは、単なる自分が隙に乗じられるかどうかの問題ではありません。師父が法の中で絶えず、修煉は厳粛なものだと説かれました。私達は常人社会の中で修煉して、多くの「無意識の行動」がすでに習慣となり、多くの「少しぐらい」という考えが間違っていて、やってはいけないということに、すでに気づきにくくなりました。業を繰り返し重ねてきた私達を、師父が一人ひとりずつ地獄からすくい出されたのです。このような業で真っ黒になった身体で、汚れた考えで、光輝く神になりたければ、厳粛にしなければかなうのでしょうか?
今日、私達は宇宙の最も根本的な大法を修煉しています。師父が自ら救い済度され、別空間にいるどの生命もこの大法を修煉したいのであって、高次元にいる旧勢力の生命さえ、自分が大法を得られなかったことで大法弟子に嫉妬を感じ、共産党を作り出して大法弟子に試練を与えたのです。
法輪大法は価値で計れるものではありません。私達の命より貴重なもので、私達が最も大切にしない理由はどこにあるのでしょうか? 師父が私達に法を多く学び、法を多く学ぶようにと再三に教えられました。
今日まで歩んできた自分の修煉を振り返ってみると、挫折したすべてのことは、自分の法に対する理解が足りなかったことが原因だと分かりました。しかも、その挫折を良い方向に向かわせたのも、法をよく学ぶ中で、師父のご加護の下で得られたことなのです。
以上は、私の少しの見解です。不適切な所があれば、ご指摘をお願いします。合掌。
2010年8月1日
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/7/26/227496p.html)
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