師父に与えられた道を正しく歩む(三)
文/アメリカの大法弟子
(明慧日本)当時、公演の時間が迫ってきたので、団員の宿泊先が決まらずみんな心配し始めました。その結果、ある同修が子供の保護者会で、他の保護者に神韻のチラシを渡しました。ちょうど旅館を経営する保護者Aさんの目にとまり、出演者の宿泊の件について聞いてきました。
その数日後、私はAさんに会い、話がとてもスムーズに行きました。同修みんが正念で支持し、観念を捨てた後、神の念が表れました。宿泊の値段は理想的でこの旅館に決まりました。そして、Aさんの一家全員が公演を見に来ました。公演が終わった後、Aさんに会いました。「最近は毎日、家内と公演の話ばかりして、他の話題にはなりませんでした。本当に美しかったです。とても忘れがたいです」と言ってくれました。
私は、彼の話を聞いてとてもうれしく思いました。師父の按配をさらに感じ取りました。もし、私たちが自分の観念をもっと早く正せば、この問題は最初から表れることさえなかったかもしれません。金剛不破の正念はいかなる形式でも妨害することができないのです。この和やかな正念の場は多くの観客をもたらし、本当に衆生を救い済度する作用があります。
不純な考えが少なければなるほど、道が広くなる
ミシガンに来て以来、仕事の時間が比較的自由になったことで、神韻の営業をたくさん担当するようになりました。最も感じたことは、不純な考えが少なければなるほど、道が広くなると感じました。
私は理系出身で、他人と接することは好きではありません。神韻を勧める中で、私たちはいろいろなことをやらなければなりません。私は、ビジネスは得意ではなく、ちゃんとした訓練を受けたこともありません。しかし、神韻は師父がされていることです。私たちにできるのは師父の按配した道を正念と純粋な心で円融し、実現する事だけです。
職業の関係で、他人と交渉し、人前で短い紹介をすることは怖くありません。これに気がついた後、自分にできることは、たくさん学法し、正念を強くするだけだと悟りました。毎回、顧客などと相談する時、事前に他の同修と最低の値段、注意する事項を話し合い、たくさん発正念をします。もし、一緒に行ける同修がいればなお良いです。一緒に発正念し、相談する時にお互い補い合い、よい効果を収められるのです。
教師の経験がありますが、しかしそれは事前に準備した通りに言えば良いだけでした。神韻の営業で、直面する困難は様々です。しかし観念を放下し、頭をからっぽにすれば、衆生を救い済度することに基点を置けば、物事はとても容易に進みます。多くの場合は、神のおかげで、考えがすっきりして、大法から知恵を与えられたことを感じます。実際に神が行っていると感じ取れます。
放下することは、「質問しない」「聞かない」「学ばない」ことではありません。むしろ、必ず常人の良い経験から学び、得意とする同修に聞きます。ですから、相手に良いイメージを与えることができ、同時に大法弟子の慈悲と和やかさが感じられます。そして、今後も長期的に協力するための良い基礎になります。たとえば、あるテレビ局からの手紙で「あなたたちに協力できることをとてもうれしく思います。とても気持ちよく、晴れ晴れと感じます」と書かれていました。
真相を理解した生命が大法に感謝しているのだと私は悟りました。
(続く)
2010年8月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/25/227518.html)
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