師父に与えられた道を正しく歩む(四)
文/アメリカの大法弟子
(明慧日本)神韻のチケットを販売する際に、常人の雑念を放棄すると、神の道がさらに広々としてくることを感じます。人の世は迷いにあって、私達はこの迷いの中で、表面のものによって一つの観念を形成しやすいのです。
今年の神韻公演は、この街での初めての公演で、とても強いプレッシャーを感じています。ある週末、同修と一緒に商店でチケットを売ることにしました。私たちは事前に時間を決めました。その同修は家で用事があり、午後5時までしかいられません。私たちは一日中ずっと立ったままで、ほとんど何も食べていません。チケットの売れ行きはよくありませんでした。
5時になると、その同修は帰っていきました。私はもうこれ以上とても立っていられないと感じ、さまざまな雑念がわき上がり、口実をつけて、私も帰りたくなってしまいました。この状態は良くないと分かり、懸命に克服しようとしました。私は閉店するまで、ここにいると時間表に書いています。その時、他の地域の同修との交流を思い出しました。私たちは毎回時間を必ず守るということです。なぜなら、私たちは大法弟子であり、言ったことは必ず守るべきです。時間表に書き込んだ時点で、法の私に対する要求はそこにあり、達成すべきです。
私は最後までいようと決心しました。そうすると空腹感がなくなりました。閉店する時に、ある人が神韻の紹介を聞いた後、何のためらいもなく、5枚のチケットを買っていきました。もっと驚いたのは、チケットが売れた後、チラシを配りながら、周りの人が突然変わったように見えたことです。すべての人が足を止め、神韻の紹介を聞き、またプロモーションビデオを見る人も多くなりました。私は今日、もう一つの関を突破しました。師父に感謝いたします。
その日、学法を終えた後、このことを思い出しました。神韻の営業をするとき、他の空間では正邪の大戦になっています。大法弟子が正しい念で正しく行うことができるかどうか試されます。雑念を本当に放棄すれば、師父が按排された道が開かれます。それは時にはごく薄い一層であり、それを突破すればよいのです。師父のすべての按排はそこにあります。師父は私たちの向上を待ってくださっています。
チケット売り場が決まってから、このチケット売り場はよい、あれはだめだ、などと思います。これらの観念は捨てるべきです。無条件に円融し、補い、正念の場を強くすべきです。なぜなら、法は破壊できないからです。私たちが本当に観念を放棄するならば、法の力が表れてきて、正しく行う道が広くなります。
来年、私たちの地域での公演はもっと多くなります。チケットは例年よりかなり高額になり、法の私たちに対する要求、師父の私たちに対する期待、私たちが達成すべき成果も高くなります。私たち一人ひとりの大法弟子がもっと多く参加し、交流し、自我の観念を放棄すべきです。師父が私たちに与えられた道と方法に対し、私たちは無条件で円融し、師父の教えに従って、やり遂げます。「正念を持ち続け、神はこの世にいる」(『感慨』)
私は周囲の同修の励まし、支持と寛容に感謝します。私はまだよく修めていない部分が多くあり、頑固で、話をする時、相手の立場になって考えることができず、また交流する時、はっきりとしない部分があり、誤解を招いてしまいます。これらはすべて法をしっかりと学んでいないために、漏れが生じたのです。同修一人ひとりが私の良くない部分を指摘し、常に私に注意してください。
私が住んでいる地域では新しいプロジェクトをやり始めました。またより多くの衆生が、私たちにより神韻公演のロビーに導かれるのを待っています。これは私たちの先史の誓約であるかも知れません。この神聖な時期に、皆さんと一緒にいることができ、ともに努力し、お互いに助け合うことができ、とても嬉しく思っています。絶えず精進し、神への道を邁進しましょう。
師父に感謝いたします。同修の皆さんに感謝いたします。
(2010年ワシントンDC法会で発表)
(完)
2010年8月3日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/25/227518.html)
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