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トルコで神韻公演を開催できた物語(一)

(明慧日本)私はトルコの南部で生まれ、1994年からオーストラリアで暮らしています。私は2001年、メルボルンで法輪大法の修煉を始めました。当時17歳でしたが、身体には健康面にいろいろと問題があり、そのなかで最も大変だったのは心臓の問題でした。私が修煉を始めてから1週間後、周りの同修たちはメルボルンでSOSウォークリレーを行い、世の人々に法輪大法の修煉者が迫害されていることを知らせたいと話しました。私は、法輪功修煉者が迫害されていることを聞いて、驚きました。良い人になりたい人間をなぜ迫害するのか理解できませんでした。そして、私も参加したいと話しました。

 私は事前にそれが11キロを越える行進であることを知リませんでした。その日に履いていた靴も足に合わず、さらに自分の心臓が心配でした。日ごろ、私は家から近くのスーパーまで行くのも大変でした。しかし、私は邪悪な中共に抗議したい、たとえ途中で死んでも今回のウォークリレーに参加したいという念が生じました。その時、私はまだ『転法輪』も読んでいない状態でしたが、大法が貴重であることを分かっていました。

 SOSウォークリレーが始まり、自分でも驚いたのは、足はまめだらけでしたが、疲れを感じませんでした。天気も非常に暑かったのですが、心臓の状況は非常に良かったのです。もし、私の医者がこのことを知ったら必ずこれは自殺行為だと話すはずですが、私は自分が正しいことを行っている事を知っていました。高温の下で歩き続けましたが、何ともありませんでした。ただ運動シューズを履いていたら完璧だと思いました。その時、1人の同修が私に足が痛くないかと聞きました。私は、痛いけれど迫害に比べたら何でもありませんと言いました。

  彼女は私に、発正念の口決を教えてくれました。発正念をしたらすぐ暖かいエネルギーが自分の身体を貫いたのを感じました。私は法輪大法が本物だと感じ、自分は幸運だと感じました。私は、その日までかつて感じた事がない幸せと穏やかさを感じました。私は8キロを歩きました。家に戻ってみたら足のまめは全部消えていました。本当に奇跡でした。あの日から、私のあらゆる健康面の問題はなくなりました。

 2004年、私はトルコに戻って大法を広げ始めました。半年くらいで多くの人が修煉を始め、われわれは7人でトルコ法輪大法協会を設立しました。私達は当地の政府とアンカラ(トルコの首都)のトルコ国民大会で真相を伝え始めました。私達は、トルコ国民大会の人権機構に、大法が中国で受けている迫害を調査することを頼み、後に迫害を非難する手紙をもらいました。トルコ政府は法輪功迫害の実態を知り、中共が間違っていることを理解しました。

 (続く)

  2010年8月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/30/227712.html

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