法輪功は中国政府に一度も禁止されていない?(三)
(明慧日本)
三、法輪功への迫害は、江沢民個人による違法な決定であり、また江沢民、中共(中国共産党)、中国政府が互いに利用し合った政治運動でもある。この迫害は、法律を実施しているわけではない。
以下の内容は、主に中共内部の文献資料、演説などによるものである。その内容から、法輪功への迫害は前中共党首・江沢民と中共が互いに利用し合って行った政治運動であることを証明している。
1、1999年4月27日、中共中央弁公庁は極秘書類「『江沢民氏の政治局常務委員及び関係者への手紙』を印刷配布の通知」を中共の内部で発表した。[注1]この通知が迫害の原文となった。通知は、江沢民が4月25日夜に書いた手紙(虚言だらけ)を中共党員全員が学習すると共に、その結果を報告することを要求した。この通知は、1999年4月25日、法輪功修煉者の政府への陳情は法律に基づいた正当な行為でありながら、江沢民個人の独断で、その行為を違法と判断し、江沢民が自分の意志を中共の高層へ無理やりに押しつけたものであった。(注:中央弁公庁の通知の要求は意見を求めることではなく、徹底的に実行すること)
2、江沢民の手紙に、政治運動のきっかけとなった内容が示されている。
−「海外と関係があるのではないか。誰かの計画、指示に従ったのではないか?」 これが、調査もせず迫害を始めるきっかけとなった。
−「我々共産党員が持つマルクス主義、唯物論、無神論が法輪功に勝てないというのか? 冗談ではない!」 これが、江沢民の法輪功への迫害のイデオロギーの基礎となった。
−「今回の事件の発生(4.25を指す)は、我々地方と部門、民衆への政治思想教育がどれぐらい弱くなっているかを証明した。必ず、正しい世界観、人生観、価値観を堅持して、幹部たちと民衆を教育しなければ……各級の指導者、特に高官は意識をはっきりしなければならない」 この記述から、当時党内では高官を含めて、迫害する考えはなく、江沢民の独断による決定であり、だからこそ「幹部と民衆を教育」し、高官に「意識をはっきりさせる」などが記載されている。
3、二つ目の極秘文献も中共中央弁公庁が配布したもの。「江沢民氏の中央政治局会議における至急『法輪功』の問題解決に関する演説」 配布したのは1999年6月7日だった。この演説の結果、3日後の6月10日に「610弁公室」を設立した。演説はもったいぶって「『法輪功』の問題は深い政治背景、複雑な国際社会背景があった。これは1989年以来、最も厳しい政治騒動事件となった。我々は必ずしっかりと対応し、深く研究し、対策を練るべき」——江沢民は法輪功と「6.4」問題を同列に論じて、法輪功への全国範囲での迫害を表明した。
4、また、政治運動を起こすため、「中共中央は李嵐清を責任者として、『法輪功』問題処理のため、特別なグループを設置することに同意した。李嵐清をグループリーダー、丁関根と羅幹を副リーダーに任命する。関連部門の責任者をメンバーとして、全員統一して『法輪功』問題解決に向けて、具体的な方法、措置などを研究する。中共中央と国家機関、各部門、各省、自治区、直轄市はよく協力すること」という演説内容もあった。この演説の「グループ」というのは、その後に設立した「中共中央の法輪功問題に関する指導者グループ」及びその下級部門「610弁公室」を指す。
このグループはナチス・ゲシュタポの組織と似たもので、中国大陸の各省、市区、各地方政府に存在する。中国国民の税金を使い、11年も善良な国民を迫害し続けてきた。ここまでで、二つの問題が明確となった。まず、「610弁公室」の設立は江沢民個人の決定である。普通、「中央」というのは「中共中央委員会」または「中共中央政治局」を指す。つまり、中共を指すので、政府ではない。江沢民の「中央決定」というのは存在しないため、個人の独断に過ぎない。
5、上述のように「中共中央と国家機関、各部門、各省、自治区、直轄市は協力すること」は、「610弁公室」の組織に党政の機関を超える権力を与えた。その組織は江沢民1人が担当していたということである。江沢民が引退するまで、個人で「610弁公室」を指揮し、法輪功への迫害の道具とした。
6、また同じ江沢民の演説では、「『グループ』設立後、すぐに法輪功の『組織』を調査し、闘争策略をめぐらして、万全な準備で戦う」という内容もあった。その後の法輪功への誹謗中傷(精神病、自殺、1400人死亡例)などは、江沢民の指示で「610弁公室」による作り話であった。[注2]
7、『中共中央弁公庁の「1999」19号文献』、『中共河北省弁公庁「1999」21号文献』は、法輪功を迫害するために、秘かに準備していたことが記された。19号文献の原本はないが、21号文献は当時、河北省政府機関事務管理局の徐新牧副処長が調べていた。その後、徐さんは4年の不当判決を言い渡された。中共のメディア報道から、事件の経緯及び文献の真実性が示された。[注3]
1999年6月14日(610弁公室の設立4日後)、中国のメディアに、「気功による健康作りなどの活動は、各下級政府は禁止していない。皆、その気功功法への信仰の自由と練習の自由を有する。また様々な意見もあるが、正常なルート、形を通して陳情することができる」という報道があった。[注4]
8、1999年9月のニュージーランドAPEC会議上、江沢民は国家元首の身分で、各国の元首へ法輪功に対する誹謗中傷の宣伝冊子を配った。[注5]
9、1999年10月25日、江沢民はフランスのフィガロ新聞の取材で、法輪功に対して誹謗中傷し、法輪功に「邪教」の罪名を着せた。[注6]
以上のように、1999年7月に始まった法輪功修煉者への迫害は、江沢民個人の意志、指示と中共中央の文献で起きた政治運動で、法律を実行しているわけでなない。それに伴い、中共メディアのひどく悪意をもった宣伝などで、人々の法輪功に対する恨み感情を意図的に扇動した。江沢民の引退後も迫害が続いていることについて、現在の中共党首も責任を負わなければならない。
[注1]証拠となる文献資料などは、江沢民の文集から調べられる
[注2]海外で公開され、その中の一つが江沢民の文集にまとめられたため、信用度がかなり高い
[注3]『人民日報』1999年10月26日第1面
[注4]『人民日報』1999年6月15日第1面
[注5]AFP通信1999年9月12日の報道:Clinton Given Falun Gong Book.(Associate Press, September 12, 1999)
[注6]『新華社』1999年10月25日
(完)
2010年8月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/17/226998.html)
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/7/23/118773.html)
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