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修煉の道で後悔のないよう執着心を取り除く(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)法輪大法の修煉の最後の時期、私たち大法弟子はもっと厳しく要求されることを知っているはずです。師父の正法の進展に追いつくため、這い回っている暇はなく、勇猛に精進し、修煉の道において執着心という障害物を取り除かなければなりません。

 師父を手伝い、法を正すという特別な時期において、それぞれの一人ひとりの大法弟子は大法を実証することを背負っていて、衆生を救う重大な使命を持っています。私たちはこの時期に自分の使命を完遂し、自分の誓約を果たせば、正法時期の大法弟子だと言えると思います。もし、一つでも残っている執着心を取り除かなければ、自分の修煉を阻害され、誓約を果たすことができない恐れがあるでしょう。旧勢力がその執着心を利用して、魔難を拡大し、迫害を加え、大法弟子を潰すことになります。

 修煉の道が最後になればなるほど、私たちは心性の修煉を重視し、ただ一つの執着心のせいで、修煉の道で倒されることがないように注意しなければなりません。旧勢力は「正法の時間が限られていて、大法弟子の執着心を早く取り除かないと、もう間に合わない」という理由から、隙に乗じて悪いことを起こし、いっそう大きな魔難を大法弟子に加え、大法弟子はあまりの難関に乗り越えられなくなります。特に、旧勢力にも軽蔑される大法弟子は旧勢力につぶされてしまいます。

 普段から心性の修煉を重視せず、執着心を取り除くことを重視せず、トラブルの中で自分を修めることを重視しない大法弟子たちは、日々、大きな難関と大きな災難を形成し、積み立てた関門を乗り越えることがたいへん難しくなっています。

 この2年近く、邪悪が大法弟子に魔難を拡大し、迫害を加えることが目立ってきました。労働教養所や刑務所に監禁される同修のことだけではなく、特に、病業状態になることにおいても、大法弟子に対する迫害が大きいのです。私たちの周りを見ると分かりますが、ある同修は関門を乗り越えることを放棄して病院へ行ったり、ある同修はあまりにも魔難が大きくて乗り越えられなくなって、やむを得ず常人の方法を使ったりしている例が数多くあります。邪悪の目的は、修煉の最後の時刻に、これらの同修を下へひっぱることでしょう。これらの同修に対して、邪悪らは「常人のものを掴んで放下せず、世間の常人の心を捨てられないで佛になれるはずがない」と考えているだろうと思います。

 一人の常人は正法の特別な時期に、ただ「法輪大法は素晴らしい」と暗唱して、大法の保護を得られ、多くの人が病気を克服し、災難から逃れ、危険を無事に乗り越えることができました。しかし、多くの大法弟子、十数年も修煉した古い大法弟子で、当初、病気を持って大法を修煉し始め、その病気を克服した人が多くいるのに、なぜ今、常人の生老病死から抜けられないのでしょうか。

 その答えは法の中に書かれています。つまり、常人を超えるさらに高い次元の道理で一人ひとりの修煉者に要求しているからです。もし基準に達することができなければ、自分がいる次元が大法の要求と一致しなければ、常人の良くない状態が現れる可能性があります。実は、これらの良くない状態は、大法弟子にとってすべて幻想です。しっかり学法ができて、修煉の基礎がしっかり固まっている同修なら、この幻想を利用して早く自分を修め、執着を取り除き、法の中で向上して、悪いことを良いことに変えることができます。しかし、学法をあまりせず、基礎が足りない同修は、良くない状態が現れると、常人の心で対処し、生死を放下できず、常人に頼り、常人の方法で治療を行い、本当の魔難になり、良いことを悪いことに変えてしまいます。学法をあまりせず、内に向けて自分を修めていない同修は、肝心な時に、自分のための修煉に責任を負っていないと言えます。

 私の知り合いの2人の同修は、2人とも十数年修煉してきましたが、なかなか魔難を乗り越えることができず、自分の執着と修煉の不足を探し出すことができず、ひたすら業力を返していると認識しています。

 (続く)

 2010年8月10日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/8/4/227889.html

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