■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/08/11/mh121126.html 



修煉の道で後悔のないよう執着心を取り除く(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)そのうちの1人は、年配の女性同修です。数年来、当地の協調人をしており、自宅が学法拠点になっています。長い間、同じ次元で徘徊し、高次元に突破することができません。この2年近く、この同修は急に足の痛い状態が現れて、ひどい時は、ほとんど歩けない状態です。その後、視力が弱まる状態が現れ、眼に白い斑点があり、白内障の状態と似ています。

 最初、同修たちは彼女に心性から問題を探すように勧め、彼女はいくつか探し出したようですが、症状がなかなかよくなりません。時間が長びくにつれ、彼女は「消業」(業を消去すること)だと考えるようになりました。次第に、外出も困難になり、法を実証すること、人を救うことは行えなくなりました。同修たちは彼女に「それは明らかに迫害で、『消業』ではありません」と教えましたが、彼女自身は「消業」という認識を変えられませんでした。もう2年過ぎたのに、彼女の視力はますます悪くなり、字が見えず、本も読めなくなりました。現在、他の同修が彼女に法を読み、師父の説法テープを聞かせてあげていますが、彼女は依然として「消業」だと考えているようです。

 もう1人の男性同修は、天目が開いています。中共の法輪功への弾圧以来、法を実証し、世人を救うことをたくさん行いました。1年前、彼は急に血便が出て、1日に数回もありました。邪悪は彼に擬相を見せ、彼に業を返せと言いました。彼が小さいときから今まで殺したもの、行った悪事を全部彼に見せました。例えば、彼が小さい時に、多くのカエルを殺し、たくさんのカエルの肉を食べたことを見せ、ハエやアリを殺したことさえ、業を返すことを要求しています。彼は自分の天目で見たことを事実と信じて、本心からその魔難の苦痛に耐え、大法を実証することや衆生を救うことができなくなっています。周りの同修は彼に「これは業を返すことだと認めないてください。これは邪悪の迫害です」と言いましたが、彼はかえって「借りたものは返さなければいけないから」と言いました。同修の話を聞かず、自分の見たことに従ってやっています。

 もう1人の同修は昼夜にかかわらず、よくトイレに行きます。この状態がすでに1年あまり続きました。この間、彼は家にいても、5通りの功法さえ達成するのが困難です。毎日静功しかできず、動功はできませんでした。最近、彼は食事をとることができれず、眠られず、顔色が悪くやせ細って、話すことすら力がなく、生命の危険の寸前に陥っている状況です。彼も業を返していると考えて、自分の天目によって見たことに執着しています。毎日学法していても、大法で自分を変えることをせず、自分の認識が間違っていることが分かっていません。

 師父の説法から、私たちは大法弟子(古い弟子)の業力はとても少なくなっていると知っています。たとえ生活の中でいくつか業力を作っても、返すことは問題になりません。師父は大法弟子にも長い間、家で業を返すことを按排しておられません。師父は私たち大法弟子に、最後の時期により多くの大法を実証することと、衆生を救い、徹底的に自分の誓約を果たし、自分の使命を完成して、自分の威徳を樹立することを求めておられます。

 以上の事例の中で、魔難の中にいる同修は自分が業を返していると考えること自体、致命的な漏れだと思います。自分は業を返していると考えていれば、旧勢力は「それなら返してくださいね。あなた自身が求めることなので、最後に生命を尽くしても全部返すことはできませんよ」と喜んでいます。師父は「煉功者が自分自身に正しく対処できないことによって、災厄を引き起こしたこと、言い換えれば、心の歪みによって招いたことです」(『転法輪』)と言われました。

 これらの状態が、次から次へ同修の中に現れてきました。大法にマイナスの影響をもらしただけではなく、世人が救われることを阻害すると同時に、大法弟子全体を妨害しています。このことを私たち一人ひとりの大法弟子が重視すべきです。正法の修煉時期に、人を救うことを重点に置き、個人の修煉と向上も人を救うためです。業を返すためだからと、人を救わないことはいけないと思います。いくつの命を尽くせば、業を返すことができるでしょう。あれは旧勢力の按排で、大法弟子を迫害することに、ほかならないのです。

 同修が修煉の道で同じような過ちを犯さないように願っています。正法がすでに終りに近づいています。私たちは自分の執着と常人の心で、大法に損失を与えないように、衆生に損失を与えないように、自分の修煉に後悔がないようにしましょう。私たちが早く世間に対する執着を捨て、自分を完全に法の中におき、無私の境界に達して、自分が今日、世間に存在する本当の意味を認識しなければなりません。それは、師父に手伝って法を正し、衆生を救い、徹底的に自分の有史以前の誓願を果たすことです。正念が十分であれば、魔難と障害物を私たちの正念で徹底的に取り除くことができます。

 以上、個人の認識ですが、不適切なところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。

(完)

2010年8月11日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/8/4/227889.html

明慧ネット:jp.minghui.org