大学講師が法輪功を修煉するようになった経歴(一) 文/北京出身の大法弟子
(明慧日本)
一、法を得た時
私は大学生のとき、自然物質の世界に好奇心と追究する心がとても強かったのです。大学4年生の時、授業が終わってからの時間は、ほとんど図書館の閲覧室で過ごしていました。図書館で本を見ることが私の主な楽しみでした。
今は、科学が説明不可能な自然現象にとても興味を持っています。大量の報道と本を読み、研究したくなります。しかし、思い通りにいかず、その結果、多く知れば知るほど、質問が多くなり、もっと解明したくなります。1980年代当初、中国本土で気功がブームになり、気功で人体に現れた多くの超常現象の研究という目的で、喜んで気功をやりました。いくつかの種類の気功をやりました。時間が長くなると、気功は皆同じだと思えて、特に研究するほどではないと思いました。毎回、少し参加しただけで放棄してしまいました。
大学卒業後、自然科学にとても興味を持っていたので、もっと奥深い知識を得たいと思い、大学院を受けました。二つの大学院で勉強をし、ついに中国で有名な大学院で博士号を取りました。その後、大学に残り、講師になりました。10年間の大学での研究を経て、最高学位と理想の仕事を手に入れることができました。しかし、十年の努力と苦難を尽くしましたが、自分が得たいことは得ていませんでした。最高学位を取得することで、自然に対する謎と多くの疑問が解けたわけではありません。逆に、今の時代の科学知識を深く理解し、たくさんの科学理論の欠陥と漏れが見えてきました。自然科学理論は大千世界の真理に対する追究に対して、とても小さく、浅く、及ばないものです。
人生の道はどこにあるのでしょうか? どうすれば心の中の疑問を解き、本当に手に入れたいものを得られるのでしょうか? 年齢が増えれば増えるほど、現実社会と接触するようになります。周辺の人は、多くが学問に精通している者で、人がうらやむ人です。しかし、個人の利益のために手段を選ばず人に害を加えます。もし十年、二十年経つと、私は彼らと同様な人間になるかもしれません。私の一生は無駄になります。いつも校内を行ったり来たりして、過去の一秒一分を見て、これが永遠に取り戻せない時間だと心の中ではっきりと思い、生命がただ過ぎ去ったかのようです。
1995年5月、私は学校の寮の隣の小さな林で、人々が法輪功を無料で教えているのに気づきました。初めは、これまでのような気功だろうと思いましたが、気功に対する興味が沸いてきたので、法輪功を教える人に『中国法輪功』という本をもらいました。この本を読み終わると、とても感激しました。かつて多くの気功の本を読みましたが、このような本を見たことがありません。二日目に行くと『転法輪』をもらいました。その日、一気に読み終えました。
長い間、困惑していたたくさんの重苦しい負担から解放されたようでした。自然科学がまだ解明してない疑問、人生の問題に対する迷いにはっきりとした回答が得られました。心の奥で、言葉でうまく表現できない喜びを感じました。『転法輪』の中の内容を、まだ完全に理解してない部分はありますが、これが苦しみながら待っていた、探していたものをついに見つけたという気持ちでした。もっと驚いたことは、まだ法輪功の動作を学んでいないのに、『転法輪』を読み終わった日に、長年にわたって勉強と仕事のプレッシャーが原因で起きていた不眠症が、全快しました。本当にあり得ないことです。その日から二度と、不眠症が表れることはありませんでした。
2010年8月13日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/31/227721.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
|
|