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自我を放棄し、寛容できるように次元を高めていく(一)

(明慧日本)この一年の間に、いかに内に向けて探し、執着を取り除いたかについて、皆さんと交流したいと思います。

 2008年末、私達の現地の協調人と資料拠点の2人の同修が強制連行されました。それから、同修を救い出す問題に直面し、皆が集まるたび話し合いました。しかし、口で言う同修のほとんどが、行動に出るのは少なかったのです。現地の迫害を暴露する文章が絶えず明慧ネットに掲載されており、しかも明慧ネットの編集部が真相資料まで編集してくれたにも関わらず、配りに行く人があまりいませんでした。

 その間、連行された同修がひどい目に遭っている噂が同修の間で流れて、一部分の同修が今の環境が厳しくなったためしばらくおとなしくしようと考えました。私も似たような考えを持っていました。様々な執着に動かされ、同修が集まることさえ困難となり、一時期は同修の間に隔たりが生じました。

 迫害を暴露するのが遅れたため、同修が重刑に科せられました。私達は皆驚いて、修煉の足りなさと自己を保護する汚い心にやっと気付きました。同時に、法輪功修煉者が真相を伝えていることは法を犯していないこと、法輪功を修煉することは罪ではないこと、また中共に騙された人が法輪功修煉者を迫害して大法に罪を犯したことを認識できました。これらの人を救うためには、私達が真相をはっきりと伝えるのが唯一の方法だと悟りました。

 法理を悟ると、私達は被害者の家族に弁護士を勧めたり、案件に関わる関係者の情報を集めたり、悪事を明慧ネットに投稿したりしました。すると、関係者がある程度考えを改めて大法弟子を積極的に迫害しなくなりました。しかし、上層部の圧力によって3カ月も伸ばした案件は、前回の判決を維持する判決が出ました。

 家族の悲しさ、弁護士の失望した様子を見て落ち込んだ私は、大法弟子としての自分の責任について真剣に考え始めました。

 全体の中で、私はどうのように役割を果たしていたのか、同修が連行されたと聞いてなぜ素早く救出に行かなかったのか、同修を救い出す一番いいタイミングを逃した原因は何なのかと、自問しながら内に向けて探した結果、深く隠れていた自己を保護する私心を見つけました。私は涙を流しながら自分に聞いてみました。もし、私は同修を救う気持ちが早く生じれば、怠けずに真相を伝えに行ったら、今日のような結果にならなかったかもしれません。私は正法時期の大法弟子として、自分の修煉に責任を取ったのでしょうか? 全体に責任を取ったのでしょうか? 師父の正法に力を注いだのでしょうか?

 同修と交流する際、同修Aさんが隠すことなく言いました。「あなたはプライドがとても高く、私に敬意も払っていないと感じます。あなたと一緒にいたくありません」私はこれを聞いて、修煉者はいかなることに遭っても偶然なことはないと思いがならも、全身に不快感が走り、怒りで胸が詰まった思いがしました。表面上では冷静を保っていたのですが、心の奥では自分に必死で言い訳を探しました。

 あなたはこの事にかかわっていないから分からないだろうけど、もしあなたが私の立場だったら、私には遥かに及ばないだろう。いろいろな事になぜあなたは参加しないのか。このように、人の非ばかりを探し、これから私もいろいろな事に関してもう参加しないと思っていました。人が作ってあげた資料をただもらうだけなのに、このようなことを言うなんて、という良くない考えが出て、数日にわたって私は落ち着きませんでした。

 (続く)

 2010年8月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/25/226817.html

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