長時間、発正念をして全面的に邪悪を取り除く(一) 文/中国の大法弟子
(明慧日本)師父の正法の進展に従い、私たちの県では、この数年の修煉環境が緩み、皆に怠ける状態が起き、旧勢力に隙をつかれました。
去年9月から現在に至るまで、数十人の同修が連行され、労働教養処分を言い渡されました。それがきっかけで、数人の同修が交流し、グループ学法を回復し、県全体の同修で長時間の発正念をし、県の邪悪を取り除くようにしました。一回目は7月11日から14日、二回目は7月19日から20日、毎日午後2時から5時まで、3時間発正念をします。以下は、私が発正念で見て、感じ取った一部の事を述べたいと思います。発正念を重視しない同修が発正念を重視するよう望みます。
一回目の発正念:7月11日から14日
7月11日、非常に多くの大法弟子が別空間で県を包囲し、全体を成して多くの邪悪を取り除きました。師父の法身と多くの正の神が私たちを見守り、手伝わずに威徳を大法弟子に残しました。
7月12日、邪悪が準備をし、別の所の邪悪な生命が応援に来ました。空間全体は水に覆われ、同修たちは水面で邪悪と戦いました。多くの邪悪は水の中に隠れ、出ようとしません。私は、「このぐらいの水は私の足も超えることはできない!」と言いました。そうすると、水は一瞬に消え、大きな穴が現れました。中にはカエル、オタマジャクシ、動物や植物、人間、怪物の形をした邪悪な生命があり、一瞬で消えました。
7月13日、県の大法弟子が強力な全体となり、多くの高い次元の邪悪な生命を取り除き、異なる次元で取り除きました。私は全く動かずに座り続けて発正念しました。威厳、壮観さが魂を揺さぶるような感じでした。身神が一体となる状態に達しました。邪悪は何度か私の手を倒そうとしましたが、まだ私のそばに近づかないうちに解体されました。何体かの高い次元の邪悪な生命が私の手を倒しに来ました。功能を正常に発揮させないためです。師父のご加持のもとで、彼らは私の小指に近づいた時に解体されました。あと数分で5時になるとき、私の人心が出てきました。その結果、邪悪に隙をつかれ、私の佛体が傷つきました。右の背中と足です。
7月14日、足を組むことができません。右足を上げることができません。発正念しましたが、心が不純で、集中できませんでした。それで内へ向かって探しました。「大」という字を見ました。私の佛体が肩を引きずって、数体の邪悪(執着心)に縛られ、大法弟子の全体から離れました。この「大」という字は何を意味するのでしょうか? 「自高自大(うぬぼれる)」という意味だと悟りました。顕示心、歓喜心、自分を実証する心がありました。今回の発正念は、自分が先頭に立ってまとめました。また、多くの邪悪が解体される事にうぬぼれて得意になっていました。
師父は『転法輪』の中で次のようにおっしゃいました。「功能といい、功を開くことといい、みなあなたが大法の中で修煉して得たものにほかありません。もし大法を二の次にして、自分の神通力を最重要視し、あるいは悟りを開いた人は自分の認識こそ正しいと思い、極端な場合は、うぬぼれて自分が大法を超えているとさえ思ったりしたら、その時点であなたはすでに堕ち始め、危うくなり、だんだん駄目になっていきます」 これはまさに私のことではないでしょうか。心の中で師父に「師父、弟子は間違いました」と言いました。赤い光が邪悪を囲み、彼らを解体しました。私は再び、大法弟子の全体に戻りました。内へ向かって探す奥深さ、全体の力の巨大さを感じました。
二回目の発正念:7月19日から22日
7月19日、発正念し始めたら、眠気が襲ってきました。部屋で少し歩きました。数分後、足を組んでも眠気が覚めておらず、肩がとても重く感じました。私は起き上がって「誰も私を阻止できません、必ず発正念します」と思いました。
外は雨が降っていました。椅子を持って出て、庭で発正念しました。二分も経たないうちに、肩が非常に軽くなりました。私は涙が流れ、雨と一緒に混じりました。師父に感謝します! 師父は私が発正念したいという心があったから、別空間の身体を直してくれました。雨の中で30分発正念して眠気が覚め、部屋に戻り、発正念し続けました。部屋は赤い色に包まれ、多くの邪悪な生命と要素を取り除きました。
7月20日午前、不注意で沸いたばかりのお湯が左足にかかりました。小さな水ぶくれがいっぱいでき、とても痛かったです。邪悪が私を妨害し、足を組ませないのだと悟りました。しかし、なぜ私を妨害できるのでしょうか? 内へ向かって探しました。この数日、午後の発正念をする前の、午前に法をたくさん学ぼうと考えていました。しかし、学法しようとしたとき、ふだんは私の家にあまり来ない、他の功法を学んでいる人が訪ねてきました。心の中で早く帰ってくれないかと思っていました。しかし、彼はどうしても離れないので、焦って怒りました。「あなたは大法が素晴らしいと知っていて、三退もした。大法を修煉しないなら、ここで何をするのか。私の学法の時間を無駄にしている」と思いました。彼はなぜ去らないのでしょうか? この場が純粋なので、彼はここにいたいのです。私たち修煉者は、他人のことを先に考えるのではないでしょうか。私はなんと自分勝手なのでしょう!
(続く)
2010年8月23日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/8/4/227937.html)
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