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乱世の中で精進し、着実に修煉する

(明慧日本)私は高校3年の子供弟子です。最近、明慧ネットに掲載された色欲に関する文章を多く読みました。ここで、私もこの面において、自分の考えを述べたいと思います。

 多くの同修が語ったように、現在、中国本土のキャンパスはすでに清浄なところではなく、党文化に侵蝕されています。社会道徳が滑落し、社会の風紀が乱れ、それに現在の流行歌と一部の映画、テレビ作品の中の変異した要素の影響を受けています。多くの学生は勉強に身が入らず、恋愛をしています。実は、このような幼稚な感情は非常におかしく、それは自分と他人の生命に対して責任を持たない行為です。これは、人間の道理から見た場合です。

 ここで、私が交流したいのは、普段は気づきにくい、しかし非常に良くない色欲のことです。それは常人のいわゆる「好感」というものです。異性のクラスメートに対して、いわゆる称賛・愛慕すること、これはまだ良くない行動とはいえませんが、修煉はとても厳粛なことであり、この方面で、私はずっと良く行うことができませんでした。そして、邪悪な要素に迫害されてしまい、損失は極めて大きく、教訓はとても深刻でした。

 修煉はとても厳粛なものです。たとえ、心の中で微々たる一念があっても、人間の言葉でいうと、「色欲と邪念が生じると、神々は見下す」 ですから、この問題において修煉者に対する要求は極めて厳しく、少しの過ちや不正なものがあってはなりません。色欲をなくすことは修煉が成就できる肝心な要素です。

 私は、自分に良くない一念が生じ始めた頃をはっきりと覚えています。師父は説法の中で私たちに、人が何をするにしても、みな他の空間でイメージと信息が残る、と言われました。修煉者が考えることはエネルギーをもっており、他の空間からはっきりと見えており、良くない一念は師父と神々をごまかすことができないばかりか、邪悪な要素も虎視眈々と見ています。

 小学4年生の時のことでした。その時、私はすでに修煉していましたが、あまり修煉の方法が分からず、それに母が常に出張していていました。一度出張すると半月以上家にいない状況でしたので、家で学法する環境がなく、私はただ寝る前に師父の説法を聞くだけでした。そして、私は少しずつ緩んでしまい、正念も緩んでしまいました。ここで、大人の同修たちは絶対に、子供弟子に対する声かけを緩めないようにアドバイスします。子供弟子は小さく、自制力が足りず、それに常人社会は大きな染めものがめなので、彼らに学法するように促すことは、本当にとても重要です。

 今もとてもはっきりと覚えていますが、字の練習をしていたとき、突然とても良くない一念が浮かんできました。クラスのある異性のクラスメートの容貌がああだ、こうだという一念でした。当時、ただ恥ずかしいと思い、学法も少なかったため、正念がなく、常人の方法でそれを排斥しましたが、それは恥ずかしいから排斥したのであって、法に基づいて自分の良くない考えを正したのではありませんでした。

 それから、新しい環境や学校の中で、容貌がよい異性を目にすると良くない考えが生じやすくなりました。それは常人の称賛や好感でした。世の中の風紀が乱れている中、クラスメートの間でもこれらを口にしていて、誰が誰を好きだなどの会話がありました。こうして、頭の中ではとても良くない観念が形成されました。まだ年齢が低く、男女交際は正しくないと分かっていましたが、このようないわゆる「好き」というのは自然なことで、あまり非難すべきではないように思われました。実はそうではありません。修煉している子供弟子にとって、それは非常に恐ろしいことです。

 昔、仏経を良く勉強していた和尚が、1人の女性が川岸で足を洗っている姿をみて、彼女の足がきれいだと思っただけで、師の奥義を継承できなくなったという物語があります。古代の修煉者はこれほど厳しく要求されていたのです。今日、法を正す時期の大法弟子にはなおさら厳しく要求すべきではないでしょうか? 常人の中の小説・テレビ・流行歌はすべて良くない作用をしています。社会の風紀がどんなに変わっても、修煉者に対する基準は永遠に変わりません。環境が良くない、あるいは複雑だからといって基準を下げてはなりません。法には基準があります。

 もし執着心をなくすことができず、自分がもっている良くない観念を捨てなければ、基準に達することができず、万古の機縁を失うことになり、それは非常に悲しいことです。

 私もこのような色欲を持っていたため、自分の修煉に大きな損失をもたらしました。表面的には学校で真相を伝える際、真相を知らない人に誣告され、学校から除名すると脅されました。実は、心性において漏れがあり、それが邪悪な要素に見られてしまい、「おまえはしっかり勉強せず、学生の本職をしっかり行わず、白昼夢にふけっている。おまえが求めたことだから、私たちが助けて全うさせてあげよう」と言われてしまいました。

 口では邪悪の迫害を認めないと言いながら、どうして色欲の心を取り除かないのでしょうか? 色欲は本当に恥ずかしいことです。必ず厳しく自分を要求し、きっぱりそれを取り除き、着実に自分を修めないといけません。三つのことをしっかり行い、さらに多くの衆生を救い済度し、円満成就して師父について帰りましょう。

 2010年8月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/22/228655.html

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