新経文『更なる精進を』を学んだ感想(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)ある同僚の先生は幼稚部の主任で、ふだんあまり接することはありません。彼女は中国の舞踊が大好きです。私は彼女に舞踊の知識を聞き学び、その後、彼女に世界一流の公演DVDを見たいかどうかどうかと聞きながら、神韻DVDを彼女に渡し、彼女は喜んで受け取りました。神韻を見てから、彼女は「私の息子は8カ月で、神韻を最後までよく見ていましたよ。おばあさんが息子を抱いて行こうとしましたが、息子は行きたがらなかったのです。音楽がとても美しいことで、息子も静かに見終えることができました」と話してくれました。
ある日、教頭先生が事務室で2010年の神韻公演DVDを清掃のおばさんと一緒に最後まで見ていました。見た後、おばさんはとても良い、また見たいと言い出しました。教頭は私に、おばさんに神韻DVDを送ってくださいと言いました。
私は仕事で「自我」に執着しなくなってから、しだいに謙虚の心を保つことができました。自分の一切の智慧は大法からのものだと分かって、自分が何を持っているかを証明する必要もありません。私は学校の主任でもありますが、ただし、私は主任という身分を重く見たことはありません。私は、クラス担任の先生に道徳と学生の心の健康を指導することに協力し、音楽、美術の先生と一緒に学校文化を創造することをやり、そのほかの先生と一緒に教育研究をするなど、同僚ととても良い関係を作り、大法の真相を伝えるとき、彼らはやさしく受け入れてくれました。
ある若い同僚の先生は、大法の真相が分かった後、『転法輪』を読みました。彼女は心に焦りが見えると、すぐに私に『転法輪』を借りにきます。トラブルに遭ったとき、彼女は大法の話を思い出し、自分の怒りやすい性格を変えることを実践してみました。もう一人の同僚の先生は、大法の真相を知った後、大法書籍をダウンロードして、真相を伝えることと「三退」を薦めることに参加したいと考えました。同僚たちは、私が大法の修煉者であると知って、自分に悩みがあったら私に話し、私の意見を聞きたがります。そのとき私は、彼らは私ではなく大法を聞きたがってやって来たのだとはっきり分かっています。ある程度、彼らの心の深いところで、「佛法」を信頼し、落ち着き先だと考えていると思います。一人の生命の分かっている一面は、自分が本当に求めているものを知っていますが、たださまざまな原因で、彼らはこのことははっきり認識していません。
修煉する前の私は、「自我」が強く短気で、人に管理されるのが嫌いで、かつ他人を見下していました。学法してから、師父がこのすべてを創造されたと分かったとき、第一念に「どうしよう。もう逃げられない。全て管理されるのか」と考えたことがあります。しかし現在、私はやっと分かるようになりました。大法の修煉で、私は自分の考えによって善悪を選ぶことは存在せず、完全に師父の按排に従い、師父が私のために造ってくださった正念で問題を考えれば良いと分かりました。造物主の前にいて、私は完全にこれまでの「私のための心」を放下すべきで、だんだんと師父が欲するものをやり遂げることができるようになり、これこそ宇宙の中の最も大きな善念だと認識しています。
(完)
2010年8月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/21/228624.html)
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/8/27/119660.html)
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