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「同修の上に立つ」心を取り除く

(明慧日本) 私には「同修の上に立つ」という心がすでに久しい以前からありました。1999年7.20以前、個人修煉の時期に、いつも自分の動作がきれいだ、天目がよく見えると思った時に、顕示心とともにこの心がよく現れてきました。その後の法を正す時期になって、法を実証するプロジェクトで、全体のために自分の働きが良くでき、自分の文章が多く発表されて、他の同修に褒められた時に、この心が生じやすいのです。
 
 このような心は自分だけでなく、他の同修にもあり、表れ方が違うだけです。その表れが明らかに見えるようであれば、他の人も気付きます。しかし、あってもよく隠れていることがあります。大法の法理および法を実証するのに必要だという口実に隠れて、自分さえ気づかないこともあります。
 
 しかし、このような心は修煉者にとって必ず取り除かなければならないものです。個人の修煉において、自分の向上を阻み、法を正す時期の全体の協調を妨害します。この心はいつも闘争心、顕示心、歓喜心、嫉妬心、自分を実証する心とともに現れて、全体の中でさらに隔てを生じて、悪い作用を働きます。
 
 真の修煉者はいつも内に向かって探して修め、大法の異なる次元で自分に対する要求に符合しなければなりません。外へ向かって、自分が人より優れているところを探すことは、自分の虚栄心を満足させているのです。
 
 このよくない心を暴露し、その心を徹底的に取り除くべきです。邪悪な要素がそれを利用し、大法弟子の間にある隔てをなくして、一致協力して全体を形成することへの妨害を許さないようにしましょう。
 
 これは個人的な悟りであり、不足の部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。 

2010年09月05日

(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2010/8/31/229025p.html

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