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神韻のDVDを配る体験


文/吉林省の大法弟子修煉者

(明慧日本)師父は『二〇〇七年ニューヨーク法会での説法』の中で神韻について次のようにおっしゃっています。「人々は衝撃を受けています。この空間では子供たちは演出していますが、他の空間では多くの私の法身と神は皆行なっています。(拍手) 震撼力と人の変化は当時私が法を伝えたときと似ています。(拍手) ですから、人を大きく変えました」
 
 私が住んでいるいる都市では人口はおよそ140万人です。そのうち110万人が農村にいます。農村では同修が多くなく、多くの同修は今までずっと師を手伝って法を正すことに参与していません。多くの農村には資料拠点がないので、都市にいる修煉者は自転車で何十キロもの距離を走る、またはバスに乗って農村に神韻のDVDを配りに行きます。神韻のDVDを配り終えると、翌日になり、翌日のバスに乗って帰ります。あまりにも遠いので、ある時はタクシーで行くしかありません。そして夜になるとバスも走っていないため、徹夜で歩いて帰ります。
 
 長期に遠いところに行くことは確かに苦しいのですが、大法弟子として師に手伝って法を正し、衆生を救い済度することが自分の使命だとわかっています。この2年来、天気が寒くても、暑くても、私たちは山を越えて、およそ30の村に真相を伝えてきました。そして、苦を以って楽と為し、緩めることなく、師父の加護の下で、順調に行っています。
 
 ある日の夕方、他の同修と一緒に農村に神韻のDVDを配りに行こうと約束しました。1人の同修は修煉上に問題がありるので、彼には行かせなかったのです。それで彼は不満を持って私のところに来ました。その時私はとても冷静でしたが、「今夜は神韻のDVDを配りに行くので、邪悪の霊が同修を操って私を妨害することはできないだ」と思い、彼と法の上で交流するつもりでしたが、彼は、法をもって私を抑圧するのですかと言って、私の話に耳を貸そうとしませんでした。こういう状況に面して、慈悲を威厳を感じながら、彼に、「大切な重要なことをしなければならないので、私を妨害しないでください」と言いました。その話を聞いて、彼は帰りました。その晩、私たちは順調に配りました。しかし、村が広くて複雑な道だったので、DVDを配り終えておよそ20分経って、やっと同修と会うことができました。その後、内に向って探したとき自分の心性が多少その同修に妨害されました。
 
 ある日私たちは8人が二つのチームに分かれて政府の所在地でおよそ1000戸に神韻のDVDを配りました。DVDを配る時、派出所や鎮政府と他の会社の所在地の町を通らなければならないので、とても危険でした。それで、他の同修のかわりに、私がその町に行こうと決めました。1人の同修は修煉状態が安定しておらず、妨害されていたので、その同修の夫と私を組み合わせました。私も自我を放棄し、自然の成り行きに任せたので、順調でした。その後、その「私(し)」を放棄すれば、師父は時々刻々と隣にいてくださり、加護してくださると分かりました。
 
  翌日の夜、皆が集まって、同修の家で交流しました。まずはみんなが自分の不足について内に向けて探しました。その後、ある同修が私に「あなたは毎日配って、配って、自分がそんなに精進するだけで、円満成就に達することができるのでしょうか。全体で向上すべきではありませんか」と不満を示しました。その話を聞くと、自分に「今は同修がともに向上するために行っている神聖な交流会だ。絶対に同修と対立してはならない」と自分に言い聞かせ警告しました。交流会が終わってから家に帰って何も考えずにすぐ寝ました。翌日の朝煉功をする時、気がついたら2時間が経っていました。特に静功を煉る時にも痛みも感じませんでした。実は前日の夜、心性を守ったので、師父は私を励ましてくださったのです。
 
 
 食事が終わってから、同修は私に昨日のことを言及しました。その同修はいつも他人を非難ばかりする話を聞き、私は不満を感じました。数年前『九評』を広げるためにいかに自分が苦しみを嘗めたとか、最近神韻を宣伝するためにいつも私が困難な仕事を担当して、なぜこの人は私に不満を示したかと思い出すと、本当にやりきれない思いを感じてしまいました。その後冷静に考えたとき、それは嫉妬心ではないだろうか、その嫉妬は私ではなく、また自分の執着心に騙されました。同修は全体をよりよく協調するために意見を私に言ってくれており、同修は間違っていないのです。協調人としてやるべきことは、特に師父の「全体がみな作用することができれば、責任者が良く行ったことになります。責任者自身がしっかり行っていても、ただ一人の学習者が良く行っただけであり、それならば、普通の学習者になればいいのです。大事なのは責任者の責任です。この作用を働かさなければなりません」の法を読むとき、師父と同修に恥ずかしく感じます。これからは必ず責任を持つように働きます。
 
  1日神韻のDVDを配り終えたあと、とても眠くてすぐにでも寝たかったのですが、突然1人の同修に、「ある流浪している同修はあなたから何も関心を寄せてもらえていないと言ってますよ」と言われました。実は自分が情を重んじるので、それを招いたのです。以前の家はまるでホテルのようでした。外地の同修も、農村の同修も家に住んだり、食事をしたりすることに、毎日かなりの時間を使い、法を学ぶ時間がとても少なかったのです。その問題に気付いた後、その状態を正そうとしたので、ある同修は不満があり、陰で悪口を言ったりしました。初めはその情を放下していなかったので、私に不満を示した人は私がよく面倒を見る人だと思っており、法をよく学んだ後は、情というものはとても信用できないもので、特に末法の時代になると、その情が一番汚いものであり、修煉者としては必ずその情を放下しなければならないのです。そうすれば、慈悲が出るのです。同修も情というものがまだまだ残っています。もし放下したら、真に心が軽くなり、陰で何を言われても気にかけないのです。
 
  2年来、邪悪の迫害がどんなに激しくても、師父の「大法弟子は他でもなく、大法弟子として行うべきことを行い、自分が何をしているのかを非常にはっきりと、理性的に認識しています。いかなる邪悪の虚言、党文化の中のいわゆる罪名にも妨害されず、影響されません」のお言葉をしっかり覚えています。私たちはどうすれば旧勢力を否定できるでしょうか。三つのことをしっかりとすれば旧勢力を否定できるのです。どんなことがあっても、ほかでもなくそれは自分が修煉し、向上するチャンスです。慈悲心を持てばより多くの衆生を救うことができるのです。真に完全に師を信じ、法を信じる事ができれば、乗り越えることのできない困難はありません。
 
 以上は私個人の悟りであり、足りないところは、慈悲なるご指摘をお願いします。
 
2010年09月05日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/23/228675.html

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