日本明慧
■印刷版   

人に寛容であることは 自我を放下する過程でもある


文/中国の大法弟子・蓮子

(明慧日本)同修である妻が大きく変わりました。私がどんな間違いをした時でも、妻はいつも許してくれます。注意してくれる時も、とてもやさしく、以前の状態とは完全に違います。なぜこのように大きく変わったのかと聞くと、妻は「最近、師父の新しい説法を繰り返し読んで、この方面の問題において、自分はしっかり行わなければならないと思ったの」と答えました。そして、息子が「人を許すことは自我を放下する過程ですよ」と母に教えました。これは慈悲深い師父が息子の口を借りて、啓示されたのだと妻は悟りました。
 
 師父の1999年の説法の中で、すでに我々に教えてくださっていました。「慈悲をもって全ての人に対処すべきであり、如何なる問題に遭遇しても自分の原因を探すべきです。人に罵られ、殴られたとしても、自分を探し、自分のどこかが良くなかったから引き起こされたのではないかと見るべきです。これはトラブルの根本的な原因を見つけることができ、私心のため自我のためという執着を取り除く最も良い方法でもあります。あなたの敵を含む個人修煉の中の全ての人を許すまで心を広くすべきです」(『オーストラリア法会での説法』) 残念ながら、私は迫害が始まってから、1999年以前の説法をあまり読んでおらず、しっかりと自分を修めていませんでした。
 
 過去の自分を振り返ってみると、本当に良くできていませんでした。とくに協調する中で、同修に何度も自分の不足を指摘されましたが、いつも人の非ばかりを見ていました。人の過ちを指摘して、いつも非難し、不平を言い、寛容に対処していませんでした。かえって自分のミスに対して、内に向かって探さず、人の意見を受け入れず、いつも人が許してくれることばかりを望んでいました。こうして、寛容に対処せず、いつも命令の形式で協調の事をしてきた結果、現地で法を実証し、衆生を救い済度することに大きな影響を与えてしまいました。
 
 「あなたの敵を含む個人修煉の中の全ての人を許すまで心を広くすべきです」(『オーストラリア法会での説法』)と師父は説かれましたが、なぜ自分のために指摘してくれる同修さえ、許すことができないのでしょうか? 原因は自我を放下できないからです。自分は何でも良くできて、人が皆自分より劣っていると自惚れます。このような考えはまさに党文化の類のものです。このような心を取り除かなければ、人を許すことはできません。人を許すことができれば、自我を放下することができます。
 
 修煉の中で、自我を放下しないという執着心を抱いて、同修間で何かを討論する時に、論争して自己主張ばかりしていました。法を実証する多くのプロジェクトを進められず、法を正す進展を妨害していると私は気付きました。
 
 今の私は人を許すことがいかに重要かということが分かりました。それは自我を放下する過程であり、大覚者になるためには欠かせない善と慈悲なのです。ならば私たちは内に向かって自らを探し、人に寛容であることから始めましょう。
 
 浅い悟りですが、慈悲なるご指摘をお願いいたします。
 
2010年09月07日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/25/228779p.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/9/2/119786.html

■関連文章
自我を放棄し、寛容できるように次元を高めていく(二)
自我を放棄し、寛容できるように次元を高めていく(一)
神韻を広める過程で自分を清める(一)
自我を放下して初めて、隔てをなくして全体になれる
協調ができた時、できない時
自我を放下し、同修と円融し、協力しながら向上する
自我を放下し、協調できるようになる
自我を放下すれば修煉の中にいる
法をよく学び、自我を放下して大法を実証する
安逸を求める心を放下し、修煉の最後の道を精進して歩もう