常人の雑誌は見ないほうがよい
(明慧日本)党文化は邪悪なもので、自分自身が認識すれば排除することができます。しかし、常人のものは修煉者の正念を厳重に妨害する要素となり、あるものは自ら意識することすらできません。この間、同僚が持ってきた流行雑誌をめくってみました。初めは常人の変異された観念で書いたと思う文章は飛ばして見ませんでしたが、後に、後天的に形成された観念に合う文章を見たときは手から離せず、面白いと思いました。甚だしきにいたっては、その中から学ぶことができて人生に得になり、啓発を受けたと勘違いしていました。
当日、同修と6時の発正念をするとき妨害を受けました。くしゃみが絶えず、鼻水も流れてきて集中ができないばかりでなく、他の人の発正念も妨害しました。しかし、自分は意識できませんでした。終わってから、同修に「今日発正念をするとき、状態が良くありませんでしたが、何か良くないものを見ましたか」と聞かれました。今日、常人の雑誌を見たことを思い出して、自分が間違ったことが分かりました。以前はテレビ、映画を見てから妨害を受けた経験がありました。同修に鋭く指摘され、師父が同修の口で悟らせたことかもしれません。私はすぐ同修に「ご指摘ありがとうございます」と言いました。
その日の夜、夢の中で1人の女の子が虫に苦しめられるのを見ました。医者は彼女にご飯を食べさせないようにし、口の縁には虫の卵がありました。また蛇と不潔なものに襲われる夢も見ました。私は常人の文章を良いと認めたとき、その文字から作家が持っていた業力と良くない要素が自分の身に付いたのだと悟りました。師父はおっしゃいました。「全国各地の煉功する者の中に、取り付かれている人がどれほどいるのでしょうか?明らかにすれば、多くの人が怖くて煉功しなくなるかも知れません。恐ろしいほどの数です!なぜこのような状態になっているのでしょうか?これらのものが社会を撹乱していますが、なぜこんなに凄まじいところまで至ったのでしょうか?それもすべて人類が自分で撒いた種です。人類が堕落しているから、至るところに魔が現われています」(『転法輪』)
自分が見たのは求めたものであり、自分が良いと勘違いしている理を頭に入れます。しかし、自分が認めた理の背後の要素は何なのか分かりません。修煉者の一念が法の上になく、頭にめちゃくちゃなものを入れてしまって、邪悪が妨害しに来たのではありませんか。
常人の社会ではどこでも誘惑があり、その背後には見えない、意識できない邪悪な憑き物が付いています。念が正しくなければ、憑き物を招きやすいのです。私は修煉するにつれて、以前は意識できなかった執着が次第に暴露されてきました。ゲーム、テレビ、映画、ネット上の文章のあらゆるものは執着で、一つ一つの執着は全て深く心に刻むべき教訓です。
真の大覚者は何にも心が動かされず、その境地の中で完全に「無為」で「空」です。われわれがなし遂げなければいけないことは「視ても見ざれば、迷わず惑わず、聴いても聞かざれば、其の心乱れ難し」(『洪吟』「道中」)です。
2010年09月08日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/4/229216.html)
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