日本明慧
■印刷版   

情の束縛から抜け出し、修煉によって慈悲が生じる(一)


文/法喜

(明慧日本)この物語は、私の三年来の修煉過程です。表向きはいつものように仕事をし、何も変わらない生活をしているように見えますが、心の中で生死の試練となっていました。修煉者として名・利・情を取り除くべきですが、私は希望もなく寂しさと苦痛の中で情を取り除きながら、黙々と法を暗記し、そして大法の中で真の喜び、楽しみが生まれました。

 初期

 ある時期、私は家に閉じこもり、毎日時間通りに煉功して、発正念を行い、法を学び法を暗記していました。しかし毎晩、脳裏に色情が現れ、知らず知らずのうちに願望を抱くようになり、その良くない念を取り除くことができませんでした。ある日の夜、夢の中で、恐ろしい色魔が私の喉に噛みつき、流血しました。私は大きな声で師父を呼びながら、正法の口訣を念じて、その場からやっと抜け出すことができました。

 執着を暴く

 私は家で閉じこもるのをやめて、新しい職場で仕事を始めました。私はいつも周りの人に親切にし、困った人に手助けをしていました。そのため、周りの人は良くしてくれます。離婚したある男性は、私に対して特別な感情を持ち始めました。彼は「6.4」の学生運動に参加したことがあり、法輪功をも支持していると分かり、私も彼に特別な感情を抱き始め、彼と結婚するかどうかを考えるようになりました。

 ちょうどこの時期に、明慧ネットに掲載された文章に、編集部の注釈があり、古い修煉者は新しい学習者または常人と結婚しないことを提案すると書かれていました。その当時、私はある資料作成拠点の技術の仕事を担当していて、常人と結婚してはならず、しっかりしなければいけないと思い、間違いを犯してはならないと思いました。その後、彼は私に求婚しましたが、私は断り、これで終わったと思いました。考えもしなかったのですが、これが執着心を取り除くための始まりだったのです。

 心がえぐられるような思い

 師父は次のようにおっしゃいました。「もし修煉者が表面では放下しているだけで、内心ではまだ何かを守り固守していて、自分の最も本質的な利益が傷つかれないようにしていれば、皆さんに教えますが、これは偽りの修煉です! 自分の心が動じなければ、少しも向上することができず、これは自らを騙しているのです。不愉快なことに遭っても、または誰かとトラブルが遭った場合、必ず自分を調べ、自分を探すべきです」(『北米第一回法会での説法』)

 修煉は表面だけを良くするのではなく、心の中から着実に修煉して心性を真に高めることです。私は心の中で情を真に放下していなかったため、私の執着心を暴き出すために、彼は女性と見合いし、うまくいかなければまた次の女性と見合いをするといった具合で、次々と見合いをしていました。しかも、その見合い相手といかに情熱的に恋愛しているのかを、女性の同僚から逐一報告されるのです。この話を聞いた私は、心が刺されたような痛みを感じました。そこで初めて、私には情に対する執着があったということを知ることができました。そして、私は脳裏に「良い女性は、再婚男性には嫁がない」「私の心は永遠に変わらない」などの念が浮かんで妨害されました。しかし、「必ず彼を救う」などの念が浮かびました。私は執着を持って、彼を救う気持ちが理性的ではなかったため、実はすでに自我に陥っていて、それは師父がおっしゃっている、師に手伝って法を正し、衆生を救うことではなかったのです。

 その時期の私は苦痛の毎日でした。時には一人で涙を流し、心の中で師父に「弟子は真に情の中から抜け出したいです」と、訴えていました。苦痛の中で、私の根本的な執着心は、いわゆる「美しい愛情」に対する執着であり、その執着を取り除けば、生きる楽しみがないように感じ、ただ限りない苦痛と寂しさが残ると感じていました。しかし、私は決心しました。たとえその苦痛と寂しさは一生耐えなければならないとしても、私は、それでも師父と大法のもとで、修煉し続けたいと思いました。
 
2010年09月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/21/228612.html

■関連文章
親友の法輪功に対する誤解が消えた
家族に対して衆生と同じく慈悲に接する
情を放下して初めて慈悲が現れる
常人の情は慈悲ではない
神韻のDVDを配る体験
同修と協力し合う中で、自分を正し次元を高めていく(二)
智慧と慈悲を持って家族を救う
内に向けて探し、学法グループが穏やかな雰囲気に包まれる
寛容
法の中で自分を浄化する(二)