(明慧日本)私は70歳で、錦州市政治協商会の常任委員と副秘書長を務めていました。1995年12月16日、法輪大法を修煉し始めました。ある日の朝、私は煉功していたとき、突然「法輪大法を修煉して200数日が経った。自分の身の回りで法輪大法の際限ない法力、絶妙な神通が現われたことを皆に紹介しないと、師父に申し訳なく、大法にも申し訳ない」と思い、涙が流れました。
私は右半身にひどい筋萎縮症に罹り、生活の支障もありました。そのほか、冠状動脈心臓病、高血圧、高脂血症、自律神経失調症、椎間板ヘルニアなど病気を持ち、長年にわたって薬を手放せず、病院から離れられず、医療費の支出は勤務先で首位でした。私は若いころから、筋萎縮症に罹り、数十年を経て、右腕から右下半身へ、軽症から重症まで進行し、右半身が萎縮しました。右肩甲骨が脱臼し、皮膚だけで腕と繋がっていたため、病院の看護師さんは怖がって見たがりませんでした。右腕が細く、血色がなく蒼白で、力もないので洋服のボタンをしめられず、はずせず、お箸を持てず、一本のマッチも取れず、気温がまだ13〜14度なのに、腕が冷えて硬直しました。右のくるぶしは硬直して曲がらず、右足のサイズは左と2号の差があり、右足のふくらはぎは左より10センチ細いです。右顔と首も萎縮し、頭が右に歪み、身体も右に傾きました。この病気は不治の病であるため、慢性ガンとも呼ばれ、外部の萎縮から内臓の萎縮が現れると、死に至ります。
私は幸運にも大法の本を頂き、手放すことができないほど大切な宝物としており、飢えるがごとく渇くがごとく繰り返して拝読し、『転法輪』の拝読回数は数え切れませんでした。大法の本と『精進要旨』などの経文は私の毎日の読本でした。毎日、就寝前と朝の目覚めた後、『論語』を暗唱し、修煉日記も毎日書きました。
私は毎日、師父の要求に基づいてきちんと煉功し、煉功の語句を覚え、その理を細かく悟り、師父に教えられた「煉功する心があればとて、功を得る心無し」のように行いました。ある時期、魔に妨害され、夜は煉功できず、寝られないこともありましたが、乗り越えた後、一晩寝られなくても相変わらず煉功しました。
私はまじめに心性を修め、師父を信じ、大法を信じました。師父の「法を学びて法を得る、比して学び比して修す、事々対照し、做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)に従い、いつも自分が修煉者であると思い、自分を厳しく律しました。修煉において、私は徐々に自分の病が業力から来たもので、昔の自分は徳を多く失って業力を多く作り、自分の業力は自分で返さなければならないと分かりました。法理が理解できた後、師父は私の身体を浄化してくださいました。私は吐血、血便、激しい腹痛など業力を消す関門を乗り越え、そして「柳がうっそうと茂る中に花がぱっと明るく咲く」のように新しい境地に入りました。
修煉し始めて半月後、萎縮した右足が大きくなって左足より大きく、右くるぶしが太くなって左くるぶしより太く、皮膚がピンク色になり、右足のふくらはぎと太もも、右胸に筋肉がつきました。約1カ月が過ぎ、膝から尻、肋骨に筋肉がたくさんつき、その次は、右手に血色が現われ、筋肉もつき始め、力が強くなり、寒さに耐える力も強くなりました。肩甲骨も筋肉がつき、修煉して3カ月後に脱臼した肩の関節がつながりました。右顔、右首にも筋肉がつき、右首の歪みがなくなり、身体のバランスが取れました。大法の威力は毎日私に変化をもたらし、右腕、右手に力がつき、私はなるべく右手を使いました。今、手と足の働きの回復がますます多くなりました。毎回、回復した右の身体を触るたびに、感動の涙が流れます。
(続く)