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常人の観念は、神通力を制約してしまう


文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、明慧ネットの交流文章の中に、邪悪に連行された同修の家族が助けを求めたが、かえって労働教養を科されたことが書かれていました。以前、同修の家族が捕まえられて、同修は早々に発正念をしましたが、あまり効果がなく、凶悪な警官らを前にして絶望し、その後は常人に頼ってしまい、悪い結果になりました。神の能力は偉大で、一念で宇宙を生成することができ、一念で旧宇宙を崩壊させることができるのに、なぜ我々の念はできないのでしょうか? ひいては常人に頼るのはなぜでしょうか。常人の観念が頑固で大きすぎて、肝心な時に、我々の神の念を制約してしまい、あるいは私たちがその神通に対して疑問を持つことが原因だと私は思います。

 人の観念および行動は数千年にもわたって、ずっと現実によって強化され、ずっと我々の頭の中に充満しているのです。一方、我々の神通の観念は、大法を修煉してから十数年しか経っておらず、しかも神通が直接表れて実証され、強化されることがないため、現実的な問題に遭えばすぐに強大な人の観念に制約されて、人のやり方をとりがちです。特に、発正念をしても効果が見えない時になおさらそうなります。

 たとえば、1999年7.20、軍用車両から銃を持った機動隊が降りて、われわれ数百人を包囲しました。当時、私たちは脱出することができませんでした。そこで、もう監禁されても構わないと思ってしまいました。しかし、家で学法する時に、警官が門前までやって来ましたが、一部の同修は本能的に直接脱出して、自分が逃げようと考える暇もなかったのに、成功しました。一方、刑務所の中にある鉄壁および重々しい電気回路、武装の監視兵を見て、諦めるしかなく、発正念をして神通力を使ってもこの刑務所を突破できるのか? あるいは共産党は自ら変わることがあり得るのか? 刑期満了まで待つしかないと思いました。

 今日になって、我々は常人の観念を突破して、師父に授けられた強大なこの能力を使って、迫害を排除し、衆生を救い済度することに使うべきです。「実はこのとき、大法弟子が神の事を行うのはどうしても必要なことであり、なぜならば、大法弟子の個人修煉は既に第一義の問題ではなく、法を正す中で衆生を救い済度し、大穹を新たに組み立てることこそが目的だからです」(『米国西部国際法会での説法』)

 一、神通の存在を固く信じる

 多く学法して、正念を固め、古い常人の観念を破るのです。師父の話を信じ、神通を信じて、我々の一念で宇宙を生成し、一念で邪悪を滅して、現状を変える能力があると信じれば、何も見えないかもしれませんが、きっと威力を発揮することができます。

 ニ、奇跡が必ず表れると固く信じる
 佛法神通は威力が大きく、できないことはないと信じれば、奇跡はきっと現れます。神の世界は神聖で人の想像を超えるため、常人の考えでは駄目なことも神のところになると一瞬にできるのです。難病も治り、粉砕骨折が治り、脚の中にある金属ボルトも消えてしまい、悪い警官は報いを受け、刑務所の壁は我々を囲むことができず、迫害できなくなり、大法は必ずすべてを正すことができます。

 三、正しく神通力を認識する

 佛法神通は神聖で偉大なので、人心を持って認識してはなりません。効果があっても歓喜心が生じてはならず、一時的に効かなくても疑ってはなりません。続けてやることが大事で、一発適中を求めないことです。以前、同修の病業に対して発正念をしたときに7日後にやっと良くなった例もあります。試してみる心もだめです。神通を運用して常人の事をしようという考えは一番駄目なのです。

 四、理知的に神通を使う

 神通を理知的に使うことは、常人の手段を使うことと矛盾しません。例えば、安全な方法や、弁護士に頼んで法律上で無罪弁護をしてもらうなどです。神通は常人の形をとって表れるので、常人社会の状態を破壊するような形にはならないのです。

 正念をもって奇跡を表しましょう!

 個人的な悟りであり、同修と交流できればと思います。
 
2010年09月26日

2010年09月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/7/229313.html

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