大法弟子はどうやって主役をこなすか?(二)
(明慧日本)多くの人は610弁公室と警官らのいわゆる訪問を恐れます。原因は、私たちは主役であることを意識していません。恐怖心が原因でどうやって対処すればよいかを考えるだけにしています。訪問は聞かれる立場ですが、逆に聞き返すのです。訪問者よりも多く聞くのです。
たとえば、610弁公室が訪問しに来た時、私は「あなたたちとは一切関係ありません。あなたたちはどこの会社のだれですか。なぜあなたが勝手にする権利がありますか?」と聞きました。610弁公室は存在すら公にすることはできないもので、裏社会の組織にすぎないので、その質問に彼らは答えられないのです。このようにして、私は主導権を握りました。
私たちが邪悪を暴露するのは、彼らを抑え、争うのではなく、彼らを救うためです。どんな凶悪な人でも道理に納得する一面があります。肝心なのは私たちが筋の通る道理を主張できるかどうか、彼らの心を動揺させることができるかどうかです。ですから、相手を理解すればするほど、その人に合う話ができます。たとえば、その官僚に「あなたが官僚になれたのは、前世で徳を積んだからです」と言いました。
彼は先祖が徳を積んだ話をしました。私は続けて「あなたは自分の役目を正しくこなしてください。もし罪のない人に悪事を働くなら、あなたは徳を失います。罪のない人を守れば徳を積むことができます。悪い人になれば、今の社会的地位がどれほど高くても、お金がどれほどあっても、やがては失うのです。善と悪は報われるからです」と言いました。すべて彼の立場を考えて伝えました。最後に、彼は心が少し動揺しました。
当然ながら、私たちは真相を伝えるとき、正念、慈悲、真、善、忍を持って行います。私たちが敵意を持っていなければ、相手の敵意は消えます。私たちは宇宙の正法、宇宙が再び作り直される時期に、衆生を救い済度する責任を理解した時だけ、主役をこなすことができるのです。普段、真相を伝える中で、610弁公室の人が訪問した時、まして迫害を受けているときでも、慈悲と威厳を共に表すことができ、衆生を救い済度する役目を果たすことができます。師父との誓いにそむかず、衆生の期待にそむきません。
(完)
2010年09月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/25/230107.html)
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