山東省:60代の法輪功修煉者が労働教養所で残酷に迫害され、歩行困難
(明慧日本)山東省イ坊市に在住の郎会群さん(60歳過ぎ)は2009年3月、法輪功が迫害されていることを人に伝えただけで、中共(中国共産党)に強制連行され、労働教養を科された。労働教養所で警官に殴られ、歯がぐらぐらし、食事が困難になっている。また、木の板に5カ月間にわたって縛り付けられたため腰が曲がり、足が腫れて曲げることができず、ほとんど歩けない状態になっている。
2009年3月5日午前8時過ぎ、郎さんはバス停である女性に法輪功が迫害されていることなどを教えた。女性は質問しながら聞いていたが、途中で突然、彼女の携帯電話が鳴り、彼女は電話に出た後も、郎さんの話を続けて聞いていた。しかし、数分後、2台の車がやってきて、黒い車から30歳前後の男が出てきて、郎さんに「警官だ。私と一緒に来い」と言った。郎さんは「なぜですか」と聞くと、彼は「お前は法輪功を宣伝していただろう。話を録音した」と言った。そして、車から降りたほかの2人の男性が郎さんを強制連行した。実は、郎さんの話を聞いていた女性は地元の派出所が雇った人間だった。
郎さんの件を、宝通街派出所がイ坊市高新区公安局に報告した。公安局大隊長と警官1人が郎さんを公安局に連行した。その後、大隊長の張国昌は警官7人を連れて、郎さんの自宅を家宅捜索し、法輪功の関連書籍、『明慧週刊』、神韻公演のDVD、創始者の写真、MP3、VCDの機械、現金4千元、電話帳、携帯電話などの個人財産を没収した。
公安局で郎さんは、警官らに法輪功の素晴らしさと、迫害されている実態を話したが、彼らは聞く耳を持たなかった。警官らは郎さんをあるホテルに拘禁し、4日間ずっと睡眠をはく奪し、交替で法輪功を誹謗した。その中の1人は「俺がお前に死ねと言ったら、お前はもう生きられない」と脅迫した。また、郎さんの娘と義理の姉の声を録音し、郎さんを脅した。
3月19日午前、郎さんは再び警官によって公安局に連行され、血液検査を強行され、顔写真も取られた。その後、郎さんはイ坊留置場に拘留されたのち、4月18日に王村労働教養所に移送され、1年3カ月の労働教養を科された。
王村労働教養所で郎さんは朝5時に起こされ、夜11時過ぎになってやっと就寝を許された。6月の暑い時期に毎日汗まみれで、洗顔や入浴、洗濯は6週間あまり許されなかった。毎日「転向」を強要され、「三書」を書くことなど強いられた。60歳過ぎの郎さんは、トイレに閉じ込められて10日ほど立たされたこともあった。
検査により、郎さんは心臓病が見つかったにもかかわらず立たされ続け、座るとすぐ立つようにひっぱられた。トイレの使用は許されず、大、小便でズボンが汚れても洗濯をさせてもらえなかった。郎さんは囚人服の着用をしないことで、1大隊4班の隊長・李文に殴打され、歯がぐらぐらになった。2人の警官に力いっぱい足を踏まれ、私服を強制的に没収され、囚人服の着用を強要された。
12月4日夜、郎さんは突然心臓に不快を感じて嘔吐した。その後、2カ月間起き上がることができなかったため、郎さんは労働教養所に一時出所を申し込んだが、労働教養所側に断られた。郎さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫んだことで、警官らに窓に手錠でつながれた。男性警官4人がスタンガンを持って郎さんを囲み、1人が郎さんの顔面を思い切り殴り、下の歯に当たったため郎さんの3本の歯が欠けた。そして、警官がタオルを郎さんの口につめこみ、タオルはすぐ血まみれになった。さらに、警官は郎さんの髪の毛を掴み、ガムテープで郎さんの口を封じた。その後、ご飯を食べられない郎さんは労働教養所側に歯の治療を求めたが、満期で帰宅するまで治療を許されなかった。いまだに食事が困難な状態である。
労働教養所で郎さんは独房に監禁され、話すことを許されず、4カ月間にわたって洗濯、顔と頭を洗うことも許されなかった。食事もトイレもその部屋でさせられ、ドアを開けるのも許されないため、部屋は悪臭が漂っていた。郎さんの脚は腐り、膿と血が流れて歩けなかった。
郎さんが連行されたばかりのとき、警官の悪行を明慧ネットで暴露したが、大隊長の張国昌は郎さんの家族に電話をして、派出所に来るよう騙そうとした。明慧ネットで暴露したことで、家族も連行すると脅したのである。
郎さんは2007年5月にも、警官に自宅に侵入され、私物を没収され拷問されたことがあったという。
2010年10月01日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/21/229928.html)
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