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法輪功を修煉し、一番幸運な人になれた(一)

(明慧日本)今、街を歩いていると、私を知っている人は皆、口を揃えて私に聞くのです。「どうしてあなたはいつも嬉しそうで、元気はつらつなの?」それは、法輪功が私を厄介な病気から救ってくれたからです、と私は答えます。
 
 後に迫害が始まったため、私は法輪功から離れましたが、癌という死の危機に直面し、再び法輪功の修煉に戻り、一銭の医薬費も使わず生き返り、そのうえ日に日に元気になり、今は身体に一つも不具合はありません。本当に法輪大法が私を苦界の底から救いあげてくれました。法輪功は本当に素晴らしく、法輪功の師父は本当に慈悲深いのです。このことを全ての人に教えてあげたいのです。
 
 私は医者です。息子を産んでから私は身体の調子がずっと悪く、9月になると全身むくみ始め、身体の節々に冷えを感じたので、産後に病にかかったことが分かりました。あれから、頸椎病、腰椎病、肩関節周囲炎、腱鞘炎・・・次々と病にかかり、身体に良いところは一つもありませんでした。それに胃炎、慢性気管支炎、咳をし出したら半年も治りません。特に夜中、咳こんで一晩中眠れず、身体が休まりません。体重が一番少なかった時は、38キロしかありませんでした。あらゆる治療法、運動、気功、サプリメントを試しても、変わりませんでした。現場の仕事をこなすことができないため、やむなく他の部署に移動させられました。
 
 主人は体が弱く、怒りっぽい人で、私はと言えばいっそういら立ちやすく、夫婦喧嘩は日常茶飯事でした。幾度も離婚届を用意しましたが、息子がまだ幼かったため断念しました。息子はいたずらっ子で、私はよく学校の先生に呼び出されていました。学校から帰ってくるたびに息子を殴りました。家族三人はいつもしかめっ面で、家の雰囲気は緊迫していました。よく、真夜中に咳こんで目が覚めたら、どうして自分はこんなに苦しくて、疲れているのでしょうかと自分に問いながら、涙を流していました。
 
 1995年の年末、同僚の一人が私に法輪功をすすめてくれましたが、私は信用しませんでした。なぜならば、以前、2種類もの気功を習った経験から、これらの気功はただお金をだましとるだけのもので、病気などは治せない「気功商売」だったのです。
 
 1996年の年末は私の人生の転換点でした。友人は『転法輪修定本』の本を一冊持って来てくれました。師父の写真を見た時に、見覚えがあり、とても親しみを感じました。本の中で述べられた話も全て、道徳を重んじ、良い人になるための教えで、心が打たれました。帰宅するとき、公園に寄ってみようと思いました。暗闇に、一面赤く輝いている所がありました。夜空の夕焼けのようでした。一人の女性が近づいてきて、「無料で功法を教えますが、良ければ ご一緒しませんか?」と優しく声をかけてくれました。こうして、私は法輪功の修煉を始めました。毎日仕事が終わってから公園に行き一、二時間煉功し始めてから、身体の調子はとても良くなり、気持ち良かったのです。病気のため、ここ数年しばらく編み物はできませんでしたが、今余裕が出て来て、毎日深夜の一、二時まで編み物していても、眠くありません。
 
 煉功して一カ月あまり経ったある日、自分の病気がいつの間にか消えたことに気づき、驚喜しました。歩く時は飛んでいるかのように軽く、階段を上がる時にも誰かに後ろから押してもらっているような感じでした。あのころ、私は涙を抑えることができませんでした。師父の写真を見れば、涙が出るし、本を読めば涙が出るし、煉功をすればまた涙が出てきます。時には一人で座っていても、紐の切れた真珠のように涙がぽろぽろとこぼれてきました。喜びと師父のご恩に対する感謝に堪えない気持ちと感激する気持ちなどが入り交じって、言葉では言い尽くすことができないのです。
 
 私は人に逢うたびに、法輪大法の素晴らしさを教えています。自分が修煉してからどんな奇跡が起きたのかを話します。『転法輪』が出版されてから、私は全ての親戚、友人、同窓生、隣近所に本を送りました。自分の患者にも無料で配りました。患者たちに、「もう悩まなくてもいいですよ、真善忍に基づいて煉功をすれば、必ず病気を取り除くことができます」と伝えました。このように、周りの人たちは口から口へ、心から心へと伝わっていき、修煉者がますます増えました。公園の煉功場は人数が多いため、グループ分けしました。私も自薦して、ボランティア指導員になり、煉功する時に使うテープレコーダーを自費で2台購入しました。煉功に参加する皆もそれぞれ大法から恩恵を受けているので、何か足りないものがあれば、必ず誰かが自発的に購入してきます。
 
 朝、私はいつも3時か4時にもう公園に着きますが、私より早い人もいます。皆が煉功して心身共に向上できたので、意気高揚でした。私たちは互いのことをあまり知りません。煉功に参加したければ参加しますし、学びたければ学びます。名簿もなければ、誰が何という名前かも分かりません。全ての人は自ら自分を律して、その善の力は巨大無辺なものです。40から50人が集まって煉功しますが、皆の動きがそろっていて、和やかな雰囲気に包まれ、ただ煉功の美しい音楽が響き渡っていました。あの境地は本当に美しかったです。煉功する場所はいつも清潔に保つことを心がけていましたので、どこで煉功しても歓迎されました。
 
 このように、私たちは1999年まで煉功を続けられました。1999年7.20午後、勤務先から「中共中央による共産党員の法輪功の禁止について」という命令が下されました。当日夜、皆が自発的に煉功場に集まり、煉功した後、大勢の人たちはその夜のうちに省政府を訪ねて、法輪功の平和陳情に出かけました。
 
 (続く)
 
2010年10月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/19/229815.html

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