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「大紀元」の広告営業を務める中での体験(一)


文/ロサンゼルスの大法弟子

(明慧日本)尊敬なる師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。
 
 本日の法会に参加できて、大紀元で広告営業をする中で感じたことを皆様と分かち合うことができて、とても嬉しく思います。
 
 一、大紀元に「入社」する
 
 真相を伝えて衆生を救い済度する必要に応じて、大法弟子は次々と新聞社、ラジオ放送局、テレビ局などのメディアを設立しました。メディアを経営していくために膨大な資金を必要としますが、当初、営業に携わる修煉者はとても少なかったのです。大紀元新聞社の資金繰りが苦しいのを見て、私はとても心配しました。
 
 一方、多くの修煉者は自分の収入を大紀元に寄付しています。毎回1万ドルを出せる同修を見て、1千ドルしか出せない私はとても羨ましかったのです。同修のように、もっと多く大紀元に貢献できたらいいな、とよく思いました。
 
 資金繰りの苦しい現状を改善させ、経営を向上させるため、私は大紀元の広告営業を始める決心をした時にチャンスが訪れました。
 
 2003年の初め頃、年一度の、大規模なロサンゼルス華人商工展示会が開催されました。展示会に多くの華人企業関係者と出会うことができ、広告を取る絶好のチャンスですので、大紀元も出展する予定でした。スタッフ募集の時、私は申し込みましたが、英語レベルが低くて新聞広告の営業の経験がないため(当時、私の職業は漢方医)、私は採用されませんでした。
 
 どうしましょう? 展示会に行こうか、いったい行くべきかどうか、私は悩みました。大紀元のような人間社会の道徳を向上させる良い新聞社を、正法時期の大法弟子は積極的に参加して、良性的な経営にまでさせるだけの価値があると思います。無私無我、すべての人心と執着を放下する正々堂々とした大法弟子は何を恐れるのでしょうか? 私は正々堂々と展示会に行くべきだと悟りました。
 
 翌日、私は展示会に行きました。二日間で、私はすべてのブースを回って『大紀元新聞』を配り、広告の売り込みを試みました。当時、広告についてさっぱり分からず、英語も流暢に話せないし、広告を売りたい気持ちだけがとても強かったのです。広告営業の新米だと私は正直に相手企業に打ち明けました。
 
 私はある企業の支配人と長く話をして、詳しく彼の商品について聞きました。私の誠意に感動した支配人は、もし広告を出すなら優先的に大紀元を考える、とすぐさま言ってくれました。展示会が終わって間もなく、彼は私の一番最初の取引先となって、また次第に大紀元の多くの海外支社まで広告を出してくれました。2003年8月、私は2社目の取引先を獲得して、4カ月後、この会社は大紀元の多くの海外支社に広告を出してくれました。
 
 今まで、私は多くの時間を常人の仕事に費やして、もらった給料を大紀元に貢献することもできなかったのですが、もしその時間をすべて大紀元広告に用いると、毎日大法を実証して真相を伝えて、また収入もあり、これ以上良いことはないでしょう。それで、私は常人の仕事を辞めて、フルタイムで全身全霊を大紀元の広告に投入しました。短いうちに、他の同修のように私も多くの広告売上をあげることw実現しました。
 
 その時、私は毎日深夜まで広告の仕事をしていました。早朝4時に家に帰って、また8時に展示会に駆けつける時もありました。数カ月の間、私はルームメートと2回しか顔を合わせていませんでした。みんなの努力の下で、2004年2月、ロサンゼルス支社の新聞発刊は週1回から5回に増えました。
 
 二、魔難を乗り越え 根気よく続ける
 
 私の広告業務が順調に発展した時、2004年4月中旬ごろ、中共は私の大手取引先(以下はC社と称する)に行ってでっち上げを散布して、私や他の同修、ないしロサンゼルス支社までも巻き添えになりました。今まで一言も批判されたことがなく、褒め言葉を浴びて育てられた私は、C社に厳しく怒られました。私は何か間違ったのでしょうか? 大紀元を良くさせるために、私は誠心誠意に努力したのですが、どうしてこんな事に遭わなければならないのだろうか、と私は巨大な難に踏み潰されそうになって、とても悔しくて辛かったのです。
 
 一方、これは心性を高めて修煉の次元を高める良いチャンスだと分かりました。分かっていますが、落ち込んですぐに立ち上がれませんでした。しかし、広告の業務に引き続き努力して、師に手伝って法を正す決心は動揺しておらず、断固として中共の妨害を取り除く決心も緩めていませんでした。
 
 会社命令で私の2番目に大きい取引先C社を他の同修に替えられ、私はすぐ経済的窮地に追い込まれました。それに、精神的にも巨大なプレッシャーを抱えてしまいました。しかし、私は倒れずに少しずつ立ち上がって、また新しい得意先の開拓に踏ん張りました。
 
 2005年の初め頃、当初私に怒ったC社は、わざわざまた私に広告を依頼してきました。私は文句と解釈など一言も言わずに、真面目にC社の依頼を引き受けました。今日まであっという間に5年も過ぎましたが、まだC社と取引をしています。2005年の後半、私はまた全世界の大紀元新聞に広告を載せる新規の大手取引先が見つかって、契約を結びました。今日までその会社は大紀元に広告を出し続けて、また次々に新商品の広告を依頼してきています。
 
 振り返ってみると、取引先は大金を出して大紀元に広告を依頼しているので、中共はきっと妨害を加える、と私はずっと思っていました。根本から中共の妨害を否定するどころか、私はむしろ迫害を黙認していました。また、自分の問題、執着、こんなに大きな難に遭う原因を探さずに、外に向かって探してばかりでした。体験を書く今、やっと当時の難は自分の修煉の漏れが招いたと悟りました。その時、毎日広告の業務に振り回されて学法、煉功、発正念、内に向かって探すことを怠ったからです。修煉者はいかなる時でも、学法して自分を修めることを怠ってはいけません。学法はすべての根本となります。
 
 (続く)
 
2010年10月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/9/229354.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/9/18/120078.html

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貴重な『大紀元時報』