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同修の言行を鏡にして自分を照らす


文/湖北省の大法弟子

(明慧日本)同修Aさんに文章の訂正を頼まれ、私はまじめに訂正をしました。しかし、Aさんはそれが気に入らず、私の訂正した文章をさらに赤ペンで10か所ぐらい直しました。私とAさんは感情的に口論して、2人とも引きませんでした。最後にAさんは「この文章のことは、あなたはもういいです」と言って、私の努力を全面的に否定しました。2カ月ほど、二人は連絡を取りませんでした。私は自分が修煉者であることを忘れて、この出来事が心性を高める機会であると悟れず、師父が按排してくださった関を乗り越えられませんでした。
 
 師父は『転法輪』で、「あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」とおっしゃいました。同修の間に不愉快なことが起きて互いに口をきかなくなるのは、邪悪が作った隔たりではありませんか? そして私は落ち着いて、師父の『マンハッタン法会での説法』を拝読して、内に向かって探してみました。今回のことは師父が按排された試練で、同修が表した態度は、実は私が取り除かなければならないところだ、と悟りました。
 
 同修は私の鏡です。私はいつも内に向かって探すことがなかなかできず、心性の向上も遅いのです。私から見た同修の欠点は、実は私の欠点そのものなのです! しかし、私はなかなかそれを悟れずに同修と口論して、常人レベルの「理」を持って同修を責めていました。
 
 『マンハッタン法会での説法』で、師父は次のように私たちに教えられました。「皆さんは今からも同じことになりますが、あなたが正しいかどうかに関係なく、この問題は一人の修煉者にとってまったく重要ではありません。言い争わないでください。誰が正しいか、誰が間違っているのかを強調しないでください。いつも自分が正しいと強調する人がおり、あなたが正しいのであって、間違っていませんが、それはどういう意味があるのでしょうか? 法に対する認識が高まったのでしょうか? 人心をもって正しいかどうかを強調すること自体が間違っています。なぜなら、あなたは常人のあの理で自分を量っており、常人のあの理で相手に要求しているのです。神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中でどのように人心の執着を取り除くかが重要なのです」
 
 師父、ありがとうございました! 心性を高める機会をくださったAさん、ありがとうございました! 
 今回の出来事を通じて、私は自分の取り除くべき短所を下記のように整理しました。
 
 (1)指摘を受け入れるうつわをまだ持っていません。特に、相手の意見のレベルが低いと思う時。今後、さらに内に向かって探していきたいです。
 
 (2)常人のように理を争うのが習慣になって、譲ることを知らない。修煉者の寛容さ、我慢、善、慈悲心とも足りません。
 
 (3)自分の学歴が比較的に高くて文章を書く経験もあるので、文章力を自慢に思っています。「同修の慈悲なるご叱正をお願いします」と言いながら、内心ではとても指摘を聞き入れられません。
 
 (4)自分の法理に対する理解は、同修より深く明晰だと思い、同修を見下しています。
 
 (5)闘争心、プライド、メンツを重んじる心などがまだまだ残っていることは、修煉者の基準までまだ距離がある証であり、ふだん大法の事だけに夢中になって、心性の向上をおろそかにしたのが原因だと思います。
 
 師父の苦心に応えることができておらず、私はとても恥ずかしくなりました。そこで私は『マンハッタン法会での説法』をメールでAさんに送信して、彼と仲直りをしました。Aさんもとても喜んで、それから少しも変わらずに、修煉において私をたくさん助けてくれました。
 
 一見和解しがたい対立や紛糾は、実は我々の修煉の次元を向上させる機会です。同修もしくは常人との間に発生したトラブルは、実は自分を照らすための鏡なのです。今回の事を通じて私は分かりました。この鏡がなければ、自分の欠点を見抜くことは本当に容易ではないかもしれません。
 
2010年10月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/29/230309.html

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