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明慧ネットに投稿する文章について


文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、周りの同修たちは明慧ネットに投稿する文章を積極的に準備しています。私は同修の書き終わった原稿を見直すことを行っていて、その中で存在する不足を見つけました。自分が認識したことを、ここで同修と交流したいと思います。
 
 ある同修はすらすらと長い文章を書いても空っぽであり、実質的な内容はありません。またある同修は、自分の出来事を証明するために初めから丸々書き出しましたが、その中から自分が認識したこと、向上してきた過程は書き込んでいません。これは、同修たちと交流するときと同じです。ある同修はぺらぺらと話しても、他の同修が聞きたがるとは言えません。しかし、ある同修は二言三言と話すだけで他の同修にためになり、得るものがあります。

 私達の法会の目的は交流を通じて、競って法を学び、修煉してその中から差を探し、さらに精進するためです。私達が文章を書く基点は、師父に手伝って法を正すことをさらに良く行い、損失を減らすためです。ですから、私達の原稿は文章の長さ、文才とは関係なく、同修の修煉に参考になる文章であれば大成功です。

 ある原稿は明らかに自分を実証する部分があり、ある状況は事実に合いません。明慧ネットは私達に、同修の間で交流する場を用意してくれました。私達は純粋な心理状態で神聖な法会ののために、真実のことを、簡単で明白な文章に書き出すべきです。
 
2010年10月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/9/230721.html

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