■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/10/17/mh180674.html 



色欲の心をなくす

文/中国の大法弟子

(明慧日本)多くの人が色欲の心に苦労しています。なくしても再び現れ、根こそぎとれません。私も同じように、1人の時は大丈夫ですが、いったん常人社会に入り込めば、すぐにこの心に妨害されます。

 私は、まだまだ法理において色欲の心への認識が不足していると思います。社会、会社、親族の中にもよく誰々が愛人を持っているとか、誰と誰が同棲しているとかのことをよく耳にします。本当に毎日これらのことが起こり、常人の心はすでに麻痺して、汚染されています。大法弟子もまた同じ環境の中にいて、同じように染められています。私の勤め先は2人の兄弟が管理する中小企業です。兄のほうは妻がそばにおらず、60歳近くになりますが、インターネットを通じて恋愛をしています。弟のほうは40代で、妻がそばにいないため、たえず愛人を替えています。2人は会社の経営において、他の会社と比べて比較的福利厚生を重んじて、給料も遅延したことがありません。

  会社の中で経営者の個人生活について議論していますが、「あのお兄さんはかわいそう、奥さんがそばにいなくて、ネットで彼女を探さなきゃたまらないだろう」「ただ話をするだけで、実際に何かしているわけじゃないから大丈夫よ」と、いろいろな話が聞こえてきます。これに対して、私は大法の基準にしたがって見るのではなく、相づちをうち、実質的な関係を持たないから大丈夫だと思いました。私のQQ(インターネットチャット)に、以前の同級生が私の元の恋人に言及し、同僚の男が近づいて親しくしてくることがありました。私は既婚者ですが、夫は一緒に生活していません。その男はよく私のところにきて冗談を言ったりしました。

 常人のレベルでは、これは何でもないのですが、私は自分が落ち着かなくなったことに気付きました。何度もその男が馴れ馴れしく、手をなでたりしてきました。やめてくださいと私は言いましたが、彼に「何もしないのに、これがどうだと言うの? あまりに封建的だね」と言われました。しかし、私の色欲の心は次第に膨張し、あの男が話しかけてくることを期待しました。この人のことが好きとは言えないものの、なぜでしょうか? なぜこの色欲の心がなくせないのでしょうか。ある日、私は突然分かりました。道徳が滑落した常人社会の行為に私の観念が符合したことが原因で、今の悩みを招きました。

 なぜこのことが生じたのかについて考えると、私に二つの良くない観念があり、法に対する誤解があったからです。一つは最大限に常人社会に符合して修煉するということです。実は、修煉者はまず真善忍に符合し、師父に言われたことに従うべきで、道徳が滑落した常人に符合するのではありません。もう一つは、現在の人の良くない行為に対して干渉しない、それは次の段階のことだということです。私の理解では、常人の中でいろいろな人と出会い、良くない人も、魔性の強い人もいるのですが、真相を伝えるときにこれらの人に対して平等に対処して、その行為自体を我々の思想の中に受け入れないことです。我々は、大法に基づいて正しいことと正しくない行為を判断しなければなりません。常人に良くないことをわざと指摘しなくてもいいですが、我々の観念はそれに符合してはいけません。

 悪いもの、変異したもの、人の行為に適わない行為を認めてはなりません。我々は理知的に知っており、口で言わなくてもよいと言うことです。

 二つの誤解を分析してから、私は色欲の心をなくすことが簡単になり、容易に変異した行為に左右されなくなりました。今の社会にある良くない行為に対して、心から排斥しているため汚染されなくなり、常人にも動じられなくなりました。

 個人的な体験であり、不適切なところは慈悲にご指摘ください。
 
2010年10月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/28/230228.html

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