顕示心の源は、常人の中の「名誉」への執着
文/中国大法弟子 蓮子
(明慧日本)私は修煉におけるいろいろな失敗を通じて、自分の顕示心があると認識することができて、顕示心を掘り出してなくさなければならないと思いました。
大法を修煉する前に、私は常人の中で有名人でした。中国共産党機関で数十年勤めて、多くの良くない習慣や観念を形成しました。例えば名誉への執着心があり、人の下にいることができず、いつか自分が出世する事ばかりを考えていました。このような心を抱えて、仕事に強烈な個人的な目的を持って対処し、自分の才能をみせびらかせようとして、顕示心、歓喜心、嫉妬心、闘争心が丸見えでした。当時、これらの心がよくないと悟れず、わざと人の前で顕示し、自分をアピールしていました。
大法を修煉してから、常人の中で形成した良くないものを自然に大法の中に持ち込んでいました。その物は修煉において妨害の要素となり、何回も失敗しました。
今もなお、良くない心が現れてきます。例えば、文章を書く時に、顕示心、歓喜心、嫉妬心、自己を実証する心がずっと伴っています。自分が書いた文章が発表されたら嬉しく思い、歓喜し、顕示したがり、逆に発表されなかったら心が落ち込みます。まるで、文章を書く目的は法を実証することではなくて、自分の文学方面の才能や自分の修煉のレベルを実証するためのようです。
顕示心は一部の考えび中に存在するのみならず、身体にも現れます。例えば嬉しく思った時に、人の前でくどくど喋って、誰にでも知ってもらおうとして自己満足します。時には自分がすごいと思い込んで、人を見下し、理知を失って自分の気の向くままに話して、人の気持ちを全く無視します。もし、顕示心が魔に利用されたら、きっと隙に乗じられて、迫害に面して理知を失い、顕示心のために言っては行けないことを言ったりします。不意に同修の情報を売りだしたり、邪になったり反対に走ったりするかもしれません。こうして大法および修煉者全体に損失をもたらして、衆生に害を及ぼしてしまいます。
今日まで至って、私の顕示心は生命の中に根深く存在していると認識しました。私にとってこれは一番良くない一番取り除きにくい心であり、師父は説法の中でいつも、顕示心、歓喜心、嫉妬心、闘争心など、これらを放下するようおっしゃっています。それは、名誉への執着だと私は悟りました。名誉が欲しい、名誉を守りたい、その心があるからこそ歓喜心、顕示心、嫉妬心、闘争心が生じるのです。
実はこれらの人心は、後天に常人社会の中で積み重なった習慣と観念であり、我々の本性ではありません。これらをなくして、生命の本来の姿に帰りたいと思います。
2010年10月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/29/230276.html)
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