■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/10/18/mh194129.html 



早朝の煉功を妨害する思想業力から抜け出す

(明慧日本)長い間、私はずっと早朝の煉功ができず、悩んでいました。そこで、いろいろな方法を考え、3、4個の目覚まし時計を客間や窓の下などの異なる場所に置き、鳴り始めたら一回りして消していました。

 初めはなんとか4、5日に一度起きて煉功しましたが、いつも何日間かしか続けられず、また起きられなくなりました。特に、家に些事が増えるともっと起きられなくなり、ひいては目ざまし時計がずっと鳴り続けても何も分からない状態に陥ってしまいました。日が高く昇ってから起きてみると、目ざまし時計は全部そばに置いてあり、どうやって持って来て消したかさえ、まったく記憶にありませんでした。

 同修たちがみな頑張って精進していることと比べてみると、私は自分の状態にとても焦りました。早朝の煉功ができないと、お昼の時間を使って煉功する必要があり、どうしても三つのことをする時間が足りなくなります。これをしたらあれができないということになってしまうのです。たまに、早朝の煉功ができる日は、一日中、気力が満ちあふれ、さっぱりとして気持ちが良く、とても充実しています。起きられないと、一日中、力がなくぐったりとして悔しい気持ちでいっぱいになります。

 内に向けて探すと、自分の正念が足りなくて、意志が弱く、意気地がないからであることをよく分かっていました。目ざまし時計が鳴り始めたら、ボーッとしながら起きて消してしまい、また急に起きたのでめまいを感じました。修煉する前に、私は体質が弱く、急に立ち上がるとめまいがあったので、旧い観念を取り除かないと幻想が出てくるのです。その時、めまいをなくすためにすぐ座るといつの間にか寝てしまっているのです。この状態があまりにも長く続き、寝ずに静功をしたとしても半睡状態に陥るか、ある時は煉功している途中に倒れて寝てしまう状態にまで至りました。

 法を正す進展が速いスピードで推し進められて行き、毎回逃した時間を取り戻せないことを知っていながら、毎日、寝る前にいろいろ決心をしても、起きたらまたボーッとしている中で、さまざまなことを口実にして再び倒れて寝てしまいます。例えば、睡眠が少ないとお昼、仕事中に眠くなる。気候が寒いまたは暑いと煉功したくない。一分だけでももっと寝たい、眠くて目が開かない等々、これらはすべて安逸心が邪魔しているからです。たまに何日間か続けて煉功できたら皮膚にとても大きい変化が起きます。柔らかくて光沢があり、常人が見ても「最近、何だかきれいに見えますね」または「肌がきれいですね」と言ってくれます。顕示心、歓喜心が知らぬ間に表れ、ひいては異性の気を引くのではないかと、とても深く潜在していた色欲まで表れてきます。

 師父の新経文を拝読して、もうこれ以上このままではいけないとはっきりと分かりました。徹底してこの状態から抜け出すべきです。そこで、師父に助けを求めました。座禅中、師父のおっしゃった次のような法理が頭の中に浮かびました。「昔の人の行動は非常に早く、一日百里を歩いてしまいました。馬も一日千里を走りますが、これは嘘ではありません。人間の考えが比較的単一でした。やっていることに集中しており、何かをするときに一本の道に沿って進んで、物事が必ずよく行われるようにしていました。話した言葉を信用でき、やると言ったら、必ずやります。これが人間です」(『長春補導員法会での説法』)

 心がぱっと明るくなりました。朝、起きてから再び寝てしまうのは、念が不純で思想業力に隙を突かれたからであると悟りました。昔の人は思想が単純で、歩くときは道を歩くことだけを考え、私心と雑念がなく、精力を集中したから、本当に一日百里を歩いたのでしょう。現在、人が一日百里を歩けないのは、足は歩きますが心はどこかへ飛んで行き、あれこれとくだらないことを思いめぐらし、ひいては歩く方向さえ忘れてしまい、精力を全部すべきこと以外に分散させるからです。

 早朝の煉功に参加しようと思ったら、朝、目が覚めた途端に煉功のことだけを考える一念で十分です。お昼、眠くなったらどうするか? 肌にどういう変化が起きるか、煉功したらどうなるか、煉功しないとどれくらいの損失があるか等々くだらない葛藤は、すべて私のための要素で、法から離れており、大法に対する固い信念ではありません。師父がすでにおっしゃった言葉があります。「修煉は最も良い休みです。あなたが睡眠で得られないリラックスを得ることができます」(『北米第一回法会での説法』) 本体の転化も法輪功の特徴として当たり前のことであり、特に意識する必要がなく、煉功するだけで十分です。煉功をしないとすべてが空談にすぎません。意識すると求めることになり、幻想の魔の障碍を求めてしまい、自分の意識がはっきりとせず、大事な時間を情けなくつぶしてしまうのです。朝、起きても煉功することより、自分の損得にばかりこだわり、煉功の意志が弱く、惰性を増したのです。煉功をしたいという念が不純だったので、私はいつも失敗をし、長期間にわたって精進できませんでした。

 悟ったらすぐ実行すべきです。寝る前に私は自分にこう言い聞かせました。「目ざまし時計が鳴ると、すぐ起きるべきだ。煉功だけを考え、ほかのことは一切考えない。一心不乱になるべきだ」 翌朝、目ざまし時計が鳴った瞬間、目を開き、とても生き生きして眠気はちっともありませんでした。とても爽やかな気持ちでした。何年間も困っていた惰性からこんなに簡単に抜け出せると思いもしませんでした。実は、人心が多すぎて、正念が不純だったので、簡単な問題が複雑になり、人為的に自分に魔の障碍を作って、自分を困らせていたのです。

 私はたくさんの同修たちがまだ早朝の煉功に参加していないことを知っており、共に精進できるよう、自分の心が変化した過程を書こうと思いました。この一念が生じたその夜、旧勢力が私を労働教養所に強制連行する夢を見ました。旧勢力はいろいろ騙す手口が効かないと、とても太い竹べらを山ほど持ち出して、私の指に刺し入れようとしました。私はとても強い正念を持って旧勢力に「中共が衆生を利用して、大法と新しい宇宙の正神となる生命に対して、罪を犯すことを許さない」と言いました。言葉が口から出た瞬間、旧勢力は恐れてすぐ竹べらを隠しました。旧勢力は私が自分の体験を書き出すことを恐れるのです。私も長い間、文章を書いて皆さんと交流しませんでした。書こうと思ったら、さまざまな口実が浮かび上がり、なかなかペンを手にすることができませんでした。中共が最も恐れるのは、まさに私達が良くしようとすることです。この手も怠けずに、文章をたくさん書くべきです。

 現在、私は正念が不純で、私心と雑念が多すぎてはいけないことが分かりました。三つのことばかりではなく、修煉中のどの念にも人心を混ぜ込んではいけないのです。純粋であればあるほど威力が大きく、障碍も少なくなります。本当に一心不乱で、無私無我になると、どんな邪悪な要素も妨げることはできなくなるでしょう。
 
2010年10月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/7/230683.html

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