帰真の道は、人を区別しない 文/中国安徽省の大法弟子 安心
(明慧日本)昨晩、夢を見ました。ある人が高いビルの屋上に立って、下へ飛び降りようとしています。私はどこに立っているかは分かりませんが、遠い所から見ているようです。阻止する人は誰もいません。その人は本当に飛び降りました。ある人が担架を持って緊急措置をとろうとしているようですが、大通りには人が多すぎるため、担架を持っている人は走ることができません。
私は、ただ遠くから冷ややかに見ていて、また「あの人、本当に飛び降りるなんて。2人が緊急措置を取ろうとしているようだが、関係のない人が多すぎて邪魔だ」と言いました。私がこのように言った時、心の中に少しの慈悲の念もありませんでした。目が覚めた後、屋上にいた人は同修の修煉状態と似ていると思いました。私も夢と同じように同修に接していました。
同修はこのような状態になって、もう5カ月近くになります。ずっと法を実証していません。最初、私は彼に付き添って、彼の話を聞いて、彼と一緒に内に向かって探していました。このような状況が私に見えたため、自分自身の原因も探していました。時間が長くなれば、根気がなくなり、同修はしっかり学法していない、発正念が役に立っていない、正しい念ではないと思いました。
こんなに長い間、同修は1人で暗い道の中で孤独に進んでいたのです。
私はこの同修のおかげで大法の修煉を始めましたが、彼は今、旧勢力の難儀に遭遇しています。彼は自分自身でなかなか乗り越えられない関があります。しかし、私は冷ややかに、彼が1人で苦しく修煉しているのを見ています。大法弟子は一体であり、大法弟子は修煉の機縁を失うと、自分自身の済度を失うだけではなく、彼の対応した天体と背後に無数の衆生もいます。
この過程で、自分の多くの良くない心が見えてきました。私心、冷ややかな心、落ちていくことを恐れる心、安逸心、恐怖心、厳しく求める心など。こんなに多くの良くない心を持って、私はどうして法輪大法修煉者と言えるでしょうか?
帰真の道は人を区別しません。大法弟子は一体であり、私達は真に自分に厳しく、正念を持って正しく行い、徹底的に旧勢力のすべての按排を否定し、打ち破ってこそ、共に精進し、さらに師に手伝って法を正し、衆生を救い、先史の誓いを果たすことができるのです。
2010年10月20日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/14/230976.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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