人々を救うことは、それほど難しいことではない(二) 文/中国の大法弟子・蓮生
(明慧日本)そして、私は類似したやり方で、同じ畑で仕事していたほかの5人、また別の畑で仕事していた4人を「三退」させることに成功しました。この後、事前の障碍が完全に取り除かれたのです。
午後になって、私は再び畑を回っていました。見かけたのはすでに「三退」したばかりの村人でした。私は隣の村の境目まで歩いたとき、子犬を連れてトウモロコシを剥いている、顔見知りの若い男女を見かけました。私は心の中で考えていました。同じ村人であれば警察に通報されることはないのですが、そうでない人に「三退」を勧めれば、どうなるかは分からない・・・。少し不安な気持ちになりました。しかし、この村の人はほとんど「三退」しており、それでは隣の村人を「三退」させる前例を作りましょう。
私はナツメを摘み取るふりをしていましたが、子犬がずっと吠え続けていました。私はその若い男女に、体は小さいのに吠える力が結構ありますねと、話しかけました。女性は「小さいけど3回子犬を産みましたよ」と答えてくれました。そして、私たち二人はしばらく談笑してから、午前中に話したことを二人にも話しました。女性は、「私は何も信じません。お金が儲かればいいです」と話しました。「共産党から脱退しましょう。あなたは1円たりとも損することはないですよ。もし災難が本当にやってきたら、あなたは金を儲けるどころではないでしょう」と勧めました。「あなたたちがお金を儲かりますようにとの意味をこめて、彼は『有福』、あなたは『有財』と名づけましょう、この名前はどうですか?」と聞いてみると、その女性は、「素晴らしい名前です、『三退』します」と、嬉しそうな顔で答えてくれました。私は彼に念を押しました。「あなたは『有福』の名前で「三退」したのですよ、覚えておいてくださいね」彼は微笑みながら、「分かりました! 分かりました!」と2回も返事をしてくれました。このとき私は、顔見知りの人を救うのも難しくないと思いました。
翌日の午後、私は我が家の畑に行き、野菜に水をかけていました。隣の畑に、私がいつも心配して「三退」させようとした人がいました(年代から彼のことをおじさんと呼んでいます)。彼はトウモロコシを馬車に一杯積み込んで帰っていきました。私は離れたところで大きな声で挨拶しました。私は仕事を済ませ家に帰る道中で、そのおじさんの家の前を通りました。おじさんは庭で忙しくしていました。私はおじさんの家に立ち寄って真相を伝えようとしましたが、時間はちょうど昼食の時間となりました。邪魔をするのは悪いと思い、私の母親も私を待っていることだし、行くべきかどうか迷ってしまい、徘徊していました。そこで思わず一念が現れました。「私を行かせないのは人間の観念によるもので、相手を救うことが肝要であり、機会を失えば、再びやってこないかもしれません」今から行きます! 師父、どうぞご加持してくださいとお願いして、おじさんの家に向かいました。そして、私は順調に真相を伝え、「三退」を勧めた結果、おじさん夫婦と小学校に通う息子が「三退」に同意してくれました。大学に通う長女も休みで戻ってきて、厨房でご飯を作っていました。私は厨房に行き、先よりもっと詳しく、もっと分かりやすく真相を伝えました。横で聞いていたおばさんは、「やはり学校で勉強している学生には、話す言葉が違いますね。多くの言葉は私には分かりませんでした」と、感心した様子で話してくれました。
おじさんの家を出て、心はとても心地よく感じていました。先ほどの雑念も消えました。そこで、遠い親戚のことを思い出しました。先程、畑で見かけませんでした。中国には「鉄は熱い内に打つ」ということわざがありますが、今すぐ真相を伝えに行こうと思い、そしてその遠い親戚一家は「三退」しました。私が家に戻ると、母は、「ごめんなさい、今日の昼ごはんはまだ作ってないの」と言いました。私はご飯ができるまでの間、発正念をしていました。
一日半で、私は家の農作業を少し手伝いながら、三退を勧めて25人が「三退」しました。
師父にご加持をお願いし、自分の観念を突き破り、人々を救うのはそれほど難しくないのです。真相を伝えるとき、人間の情や観念に左右されてはなりません。師父にご加持をお願いするのはかまいませんが、人を救いたいという慈悲心が現れれば、人を救うのに容易になります。但し、人を救うときは、人に妨害されてはならず、相手の情に沿って真相を伝えれば、もっと良い効果を得ることができます。
(完)
2010年10月26日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/17/231126.html)
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