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新しい大法弟子:常に自分が修煉者であることを自覚する


文/中国山東省の大法弟子

(明慧日本)私は法輪大法の新しい修煉者です。私は自分が修煉者であり、いたる所で法を実証し、常人に法輪大法が良くないと言われないように、常に心掛けています。今、家庭においても、近所や仕事先においても、この一念を守って、真相を伝え、すべて比較的良い効果を収めています。 
 
 姉たちとの関係
 
 父は昨年から半身不随、老人性痴呆になり、とても気難しく、夫は「全国でもこんなに世話をするのが難しい人は見つけられないだろう」と言います。3人の姉はみんな比較的遠い町に住んでおり、姉たちの負担を減らすため、私は父を家に迎え入れました。その後、3人の姉も世話に来たことはあったのですが、しかし、それによって生じたトラブルも少なくありませんでした。
 
 私は、特に姉たちの言ったことに衝撃を受けました。3人の姉たちは、私が一生懸命に父の看護をしているにもかかわらず、よくできていないとか、もっとしっかりやりなさいなどと文句を言ってきました。話を聞いて、私は怒り、不平、不満、恨む心が湧いてきて、姉たちは恩知らず、人間の基本的な付き合い方も知らないと思い、それに、父の看病はとても疲れるので、姉たちに順番に世話をしてもらおうと思いました。
 
 法輪功の李洪志師父は次のように説かれています。「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」(『転法輪』)
 
 師父の法が私を納得させました。そうですね、私は修煉者です。自分の修煉、心性の向上を手伝ってくれた姉たちに感謝すべきだと思いました。心性が向上すれば、環境も変わり、3人の姉たちの態度も変わってきました。真ん中の姉は家に遊びにおいでと言ってくれ、3番目の姉は物をくれたり、上の姉は、私が法輪大法を修煉していなければ、このように父の世話をすることはできないと認めてくれました。
 
 近所との関係
 
 お隣は家を建てようと、レンガを私の家の表門の前に置くつもりで、私は承諾し、夫にも伝えておくと言いましたが、意外にも夫はどうしても置かせたくなく、どう説得しても聞いてくれませんでした。
 
 「われわれ煉功者は、トラブルが突然現われることがあります。その時、どのように対処すればよいでしょうか? 平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」(『転法輪』)
 
 私は修煉者ですから、人に親切にしてあげるべきですが、夫の意見も聞かなければなりません。彼らの間にどれほどの因縁関係があったのか、それを知ることはできず、自然に任せようと思いました。お隣が古い家を壊す時、大勢の人が来て、奥さんはとても忙しそうでした。私はそれを見て、自宅の台所の火を強くして、何回も何回もやかんでお湯を沸かして持って行き、魔法瓶も足りなかったので、家のを持って行き、自由に使うようにと置いてきました。お隣さんはとても感激しました。
 
 しばらくして、兄弟の妻が急にお金が必要になり、私の家へ借りに来ましたが、家にお金はなく困っていたところ、お隣さんがすぐに新築に使うお金を貸してくれました。みんな知っているように、今の社会では、人にお金を借りることはとても難しいことなのに、自ら進んで貸してくれました。
 
 それから数日後、夜になって家の電気が消えてしまって、電気屋に調べてもらうのにハシゴを支える人がいるのですが、夫はあいにく留守で、やはり隣のご夫婦2人がずっと梯子を支えてくれました。もし、私が大法を修煉していなければ、私たちとお隣との関係はきっと冷たかったことでしょう。
 
 兄弟の妻との関係
 
 夫の3番目の兄が入院し、姉はその看病に行き、その間、私は毎日兄の家へ鶏に餌をやりに行きました。その日の昼ごろ、退院して帰ってくるので、最初はその時に鍵を返せばいいと思ったのですが、ちょっと考えると、私は修煉者です。何かをする時、他人のことを考えるべきです。兄たちが帰って来た時、オンドルは冷たいままです。兄には暖かいオンドルが必要です。それに食事もしていないから、まずオンドルを暖めてから、食事も作りましょう。でも人心も湧いてきて、そこまでするのはあまりにもやり過ぎではないかと思いました。しかし、すぐにまた正念が出てきて、いや、これは心が広いからできるのだと思いました。
 
  現在、兄の家に何かがあれば、よく電話をかけてきて相談しています。これは以前だったらあり得ないことです。かつて姉と家庭内のことで喧嘩をして、最後には村政府を通して解決したことがありました。
 
 近所の人は私を見て、「あなたは本当にいい人ですね!」と言いますが、「私は法輪大法を学んでいるからです」と答えます。
 
 同僚との関係
 
 私が葡萄園でパートで働いていた期間、常人たちは昼食が終わると、いつもよりきれいなシーツとベッドを占め、横になって休息をとっていました。私は修煉者であり、人とベッドを奪い合うことはできません。雑巾でテーブルと椅子を全部拭いて、床も掃除してから、ベッドに座って法を勉強し、正念を発していました。常人のAさんがタオルケットを掛けていないのを見て、そっと掛けてあげました。Aさんとは以前、敵対関係にあったのですが、今の私は修煉者で、敵はいないのです。みんなが起きてから、Aさんは言いました。「あの人は眠っていないけどずっと静かで、私にタオルケットを掛けてくれました」
 
  その後、Aさんは入院し、私は見舞いに行きました。Aさんに、心から「法輪大法は素晴らしい」と念じると身体に良いと教えました。今は道で会ったら、私がまだAさんを見つける前に、Aさんが遠くから先に声をかけてくれます。 
 
2010年10月31日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/26/231503.html

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