私のいくつかの修煉体験
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は10年間修煉を続けてきた大法弟子です。人心を修め執着心を取り除く過程での体験を書き出して、同修と切磋琢磨したいと思います。不適切なところがあれば慈悲に指摘をお願いします。
私が大法の修煉を始めてから、心身ともに大きな変化があり、家族も大法の不思議さを目にして、私の修煉に対して反対しなくなりました。私の夫は典型的な亭主関白で、家事をしないだけでなく、私に思いやりの言葉も言わないので、修煉を始める前に私は彼を恨んでいました。修煉を始めた後はこのような心理状態はなく、大法弟子が学ぶべき忍の心で、自分を制御することができましたが、心の中には常に不満があり、口では言いませんでした。
この数カ月、夫は私に対してますます冷たくなったようで、私は困惑を感じました。私は以前より彼に対して優しくしているのに、彼はなぜこうなのかと私は理解できませんでした。ある日、私は師父の関連経文を学んだ後、自分は根本的に師父のお教えの「あなたは平素から優しい本当の女性のように」(『米国東部法会での説法』)なっておらず、ただ家事をするだけで、心の中は不平不満があったので、修煉状態とは言えず、夫もますます冷たくなるはずだと思いました。夫の冷たさはまさに私のこれらの心を放下するように促しているのではないかと思いました。
それから、私は喜んで家事をし、彼も優しい語気で話すようになりました。ある日、私が彼にタバコを少し減らすように勧めた時、彼は笑いながら「前だったらくどくど言われると、私を恨んでいると思っていたが、今はあなたが私のために考えて言っていると思っているよ」と言いました。
私は普通のおとなしい人間ですが、この面において取り除く人心はないだろうと思っていました。しかし最近、私が人が喜ぶ話をすると、相手は刺激的な言葉を言い返してきて、私が手伝ってあげようとしても、他人は決してありがたく思わず、甚だしきに至っては手伝うほど忙しくなって、自分でも訳が分からなくなりました。そのとき、私は『明慧週刊』で同修の修煉体験を読んで悟りました。それは、私が人に良い話をするのも、人を助けるのも他人に嫌われたくない心があり、あるいはその中から何か得ようとする心があり、これこそ人心ではないかと思いました。私がこれらの人心を探して放下した後、周囲は大きく変わりました。
私はいつも身なりを重んじる心があります。私はこれらすべてが修煉者に対する要求に合うと思って、だらしない格好はしませんでした。そのころ、ある知人が私に会ったときに「あなた太ったね、前のほうが綺麗だったよ」と言われました。私は聞いた後、すぐにダイエットしようと思い、甚だしきに至っては2日間お腹の状態が悪くなって下痢をすれば最も良いとも思っていました。2日間が過ぎて、私は突然気分が悪くなって、吐き気がして、めまいがし、吐いたり下痢したりして苦しくなりました。そのとき、私はまた人心でこのことを考えて、昼に食べた野菜に問題があるのではないかと思いました。しかし、家族はみな問題ありませんでした。この時、私はやっと自分の強烈な人心が邪悪に隙に乗じられ、また長い間、師父の法理で自分のきれいになりたい執着を隠していたことを悟り、本当に師父に申し訳がないと思いました。私は師父に加持をお願いし、また発正念をして、2時間後に、体は完全に回復しました。
この体験を書き出したのは、さらに師父を信じ、法を信じ、絶えず精進したいと思ったからです。
2010年11月01日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/28/231578.html)
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