■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/02/mh033665.html 



着実に修煉する(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)修煉をして十数年が経ちます。私が自分の歩んできた道を振り返って見れば、大法弟子にとって、着実に修めることが最も根本的なことだとつくづく感じます。自分が協調人であろうと、重要なプロジェクトの一員であろうと、着実に修めない限り何の意味もありません。
 
 7.20以前、私はわが地区の協調人で同修の中で「有名人」でした。私は大学を出て、いい会社にも就職し、また修煉も良くできていると思い込んでいました。自分は普通の人間ではないと思い、同修と交流する時でさえ、自分は同修より上にいると意識し、みんなの前で堂々と話し、まるで上司が報告をしているかのようでした。同修の問題点もすぐに見つけて、ずばりとあるいは遠回しに指摘し、私の周囲には同修がどんどん集まってきました。とりわけ年配の同修は問題があると、私に「このことはどうすればいいですか」、「今の対応は正しいですか」などと聞き、相談に来ました。
 
 しかし、肝心な自分自身の修煉はどうなっていたのでしょうか? 人心が重い時は、自分はいわゆる「大法のエリート」だと思い込んでいました。毎日法を暗記し、五式の功法も続け、自分なりに関も良く乗り越えていると思っていました。多くの場合、説法の中で自分に照らし合わせて見るのではなく、すぐに「この段落はだれだれのことを話している」と思い、その時はまったく自分を修めておらず、他人を修めているようでした。自分を着実に修めず、修煉の中で貴重な時間を無駄に費やしていました。その結果、その後、迫害された時、警官からこのようにあざ笑われました。「お前は、本をよく読んでいるようだ。本来ならば、このような目には遭わないはずだよな」
 
 結局、私はさんざん迫害され、もう少しで大法から離れるところでした。あの時、さまざまな考えが絶え間なく浮かび、心理的な重圧感に押しつぶされそうになり、無気力になってしまいました。ある日、一緒に交流した同修が逮捕されました。その数日間、師父に対する堅い正念はまったくなく、自分も逮捕されるのではないかなどと考え、非常に怯えていました。公安局で働いている友達に、逮捕された同修の口から私の名前が出たので、早めにここを離れた方がいいと言われました。私は非常に緊張した恐怖の中で、夢を見ました。三方をネットに囲まれ、出口は一方しかありません。そこで、これは師父の啓示だと確信し、家を出ようとしました。後で悟ったことですが、友達の話と夢は、旧勢力の私に対する迫害の詳細な按排で、法理が理解できず、人心が重い私には、そのように歩むしかありませんでした。私の正念が足りないため、旧勢力の按排を否定することができず、その結果、迫害が待っていたのです。
 
 私が家を出る前、夫は泣きながらどうしても行かなければならないのかと聞き、私は行かなければならないと答えました。当時、これは大法のためにもなり、家族には申し訳ないと思いましたが、後に、彼らにとっても大きな徳を積むことであると思い、家を出ました。
 
 放浪中、私は2人の同修と出会いました。同修たちと毎日学法し、真相も伝え、同修は私を非常に配慮してくれました。しかし、心は落ち着かず、次元の向上が遅いと感じました。最大の難は孤独感でした。あの時、時間が非常に長く感じられ、常に正法がいつ終るのかなどと考えてばかりいました。着実に人心、とりわけ恐怖心を修めていませんでした。街で警官を見かけると避けて通ったりしました。
 
 ある日、一緒に住んでいた同修が「午前、警官たちが部屋のチェックをしていました。私たちは場所を移さなければならないようです」と言いました。当時、私は怖くて「どうしよう、あなたは怖くありませんか」と聞くと、同修は「いいえ、怖くありません」と答えました。同修はとても疲れている様子で、ソファーに横になり、目を閉じていました。同修は私よりずっと長く放浪しています。私はその同修を見ながら、同修は偉いと思いました。以外にも、これが私たちの会った最後となり、後に同修は迫害されてこの世を去りました。同修が放浪しなかったならば、亡くなることもないのではないか? 当初、家を出る選択が正しかったのかなどの考えと、残念な思いで頭の中はいっぱいでした。
 
 (続く)
 
2010年11月02日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/27/231562.html

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