■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/03/mh043342.html 



江西省:法輪功修煉者の親子が迫害され死亡

(明慧日本)江西省瑞昌市の法輪功修煉者・周佐福さんは、相前後して8回にわたって「610弁公室」と公安局に連行され、拘禁された。馬家リュウ労働教養所でひどく迫害され、食事に薬物を入れられて中毒症状になり、心神喪失になった。体重は65キロから40キロに落ちて、2007年3月6日に死亡した。
 
 周佐福さんの息子・周志斌さんは当時、瑞昌市范鎮財政所の所長に在任していた。1年半の労働教養を強いられ、残虐な迫害を受け、心身ともに大きく傷つけられた。出所した後もずっと傷の痛みが身につきまとい、2005年5月14日に亡くなった。享年31歳。
 
 周佐福さんは警官の娘婿(柯瑞海)がおり、柯瑞海は公安支局長を勤めていた時に、岳父の周さんが法輪功を修煉して自分の出世に影響したと言って、周さんを監視したり、上京を阻止するなどして、連行にも加担したのである。周さんが亡くなった後、柯瑞海は至る所で、法輪功を修煉したから死んだのだ、と嘘をふれ回っている。
 
 周佐福さんの妻・徐蓮ジョウさんは、胃癌の末期で、病院は3〜6カ月しか生きられないと断言した。1997年2月に法輪大法の修煉をしてから、数カ月後に完全に回復した。当時23歳の息子・周志斌さんは、法輪功の素晴らしさを知り、両親と一緒に修煉し始めた。家族4人は娘以外みな法輪功を修煉している。
 
 1999年7.20、江沢民集団が法輪功を迫害した後、周佐福さんは8回にわたって瑞昌市の「610弁公室」と公安局に連行され、家財を没収され、拘禁、洗脳、労働教養を強いられた。そのうち7回目の連行は2001年1月26日から4月28日まで、瑞昌市の留置場に拘禁され、洗脳された。3カ月半の洗脳を受けたが、周佐福さんの「真・善・忍」に対する信念はまったく動揺しなかった。続いて九江市の馬家リュウ労働教養所に送られ、3年の労働教養を強いられた。馬家リュウ労働教養所では長期にわたり虐待され、心身ともに大きな打撃を受け、体は極めて衰弱した。2001年4月28日に労働教養所に拘禁された時は体重65キロだったが、2003年4月7日に出る時には40キロにまで落ち、容貌はまったく変わってしまった。
 
 馬家リュウ労働教養所は周佐福さんに対して各種の拷問を行った。2002年11月、「転向」率を伸ばすため、周さんを精神病院に送り、食事に薬物を入れて中毒にさせた。12月、周さんを九江市第五人民医院(精神病院)に送って迫害しようとしたが(労働教養所は体の検査だと周さんを騙し、周さんは精神病院とは知らされなかった)、病院に入所を断られ労働教養所に戻された。それ以降、周佐福さんの体は衰弱し、さらに精神にも異常をきたした。
 
 周佐福さんはもともと忍耐力の強い修煉者である。学法し、煉功をずっと続けていた。2003年4月7日に家に帰った後、精神状態がますます深刻になった。夜に屋上に立って眠らない、寒い日は室内で1晩中壁に向かって立ったまま、眠ってもベッドに入らず地面で丸まって寝るなど。一日1食しか食べられず、食べる量はとても少なく、偏食していた。特に2005年5月14日、息子が迫害され亡くなった後、さらにショックを受け、ついに2007年3月6日にこの世を離れた。
 
 以下は、周佐福さん自身が生前に述べた内容である。
 
 「労働教養所で私は殴られた。班長、受刑者は、かかとで私を蹴り、握り拳で殴り、私の足は毎日腫れていた。私は2度吊るし上げられ、足の指は地面についていたが、地面にろうそくのろうを垂らされ、水を流されたりしたため、立てられなくなった。手錠は日に日に肉の中に食い込み、特に右手は変形してしまった。6日間、昼も晩もずっと眠ることを許されなかった。彼らは私を鉄のベッドの上に手錠ではめて、そして手錠の上から踏みつけた。私はすぐに気絶した。彼らは私を殴る時、いつも握りこぶしを使って私の急所を打つ。例えば脇の下、みぞおち、腰、こめかみなど。私はまつげ、眉、髪の毛をつかまれ、こめかみの当たりの皮膚を大きく引き破られた。牢屋及び作業場で私はいろいろな方法で吊るし上げられ、罵られたり殴られたりして、あらゆる手口を使い尽くして拷問された」 
 
2010年11月03日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/27/231551.html

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