■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/04/mh054155.html 



内へ向かって探せば、環境がすぐに変わる

文/中国の大法弟子

(明慧日本)冬に使う石炭を準備する時期が来ました。夫は仕事で忙しいので、家にいる私は石炭を売る人に連絡しました。石炭を積み下ろすのを手伝うので、よい石炭が欲しい、値段は多少高くなってもよいと頼みました。石炭を運んできた運転手は「この石炭はとても良いものです。高くもありません。人が盗んできたものですから」と言いました。当時、石炭のことで頭がいっぱいだったので、運転手が言ったことを気にしませんでした。
 
 そして二日目、夫がちょうど家にいて、運転手の前で私を怒り、罵りました。夫がすべきことを私がやっているのに、なぜ夫が怒ったのか分かりませんでした。私は、修煉者の基準に達しなければならないと思って怒りませんでした。運転手が帰った後、落ち着いて内へ向かって探しました。私は、石炭のことを法理に基づいて考えていませんでした。修煉者として他人が盗んできた物を買ってはなりません。邪気を増やしているのではないでしょうか。これを悟った後、夫は罵るのを止め、数分後に気分が変わったようでした。
 
 ある日、実家に母を見に行きました。母の話から、弟の母への仕送りがとても少ないことが分かりました。弟の子供は母が育てていて、母はもうすぐ70歳になり、退職金もありません。あとのお金は私ともう一人の弟でまかなっています。弟からの仕送りは子供を育てる費用にも及びません。不満に思い、口では言いませんでしたが、心が法理に従っておらず、良くない考えに妨害されました。弟はとてもずる賢く、自分に使うお金はいっぱいあっても、母に送るお金はないというのか、と考えました。
 
 しばらく経って、弟に三退の話をしましたが、彼は応じず、さらに良くないことを言いました。以前、弟に真相を伝えているときは、「お姉さん、あなたの煉功している功法はとても素晴らしい。法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと分かっているよ」と言ったことがあります。しかし、今日はどうしても受け入れません。私は、内へ向かって探しました。弟に不満を持っていたためで、修煉者として、自分の観念で人の人生の道と損徳を決めることはできません。「職場で、あるいは社会で評判が悪くても本当に悪い人とは限らず、逆に評判が良くても、必ずしも本当に良い人とは限りません」(『転法輪』)悟った後、再び弟に話しました。弟はすべて受け入れ、さらに涙を浮かべて、泣きそうになりました。
 
 この二つの出来事で、修煉は厳しいものであることを悟りました。そして、内へ向かって探せば、環境はすぐに変わるのです。 
 
2010年11月04日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/31/231707.html

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