■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/06/mh071428.html 



母が再び大法の修煉に戻った過程(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)二年近い期間を経て、母に絶えず真相を伝えることを通して、やっと母の誤解を解き、母は再び修煉に戻ってきました。
 
 今日の通勤途中に、母が大法から離れた間を振り返り、再び戻ってきたことを喜んでいる姿と内心の巨大な変化を見て、涙がこぼれました。私は師父とすべての同修、世のすべての人に伝えたいのです。「母が戻ってきました!」
 
 母が法を得たときはもうすでに還暦を迎えていました。しばらく修煉して、体は大きく改善し、性格も穏やかになりました。母が法を得た直後、私も修煉を始めました。そのときの日々は最も喜ばしく、私たちは佛光を浴びて、修煉の中で絶えず高まりました。私は家から100キロ以上離れた遠いところで仕事をしていました、ですから、大法の多くの情報はすべて母が伝えてくれました。はっきり覚えていますが、師父の「法の中に溶け込む」の経文が発表された後、母はとても喜んで電話をかけてくれました。「たくさん法を勉強してね、この法に全部同化すれば、成就できるから」と話してくれました。
 
 母はとても協調の能力と熱意もある人で、現地で早く法を得たので、自然に協調人になりました。自分の修煉と共に、毎日積極的に法を広めることをやって、とても充実していました。
 
 しかし、母が一所懸命に修煉しているころ、邪悪な共産党の大法への迫害も始まりました。真に法を認識することができなかったことで、母は生死を放下して外に出て法を実証することができず、しばらくの間はまだ正念があったのですが、すでに変異した妥協の中で常人のやり方で邪悪に対応していました。またしばらく経ったら、無意識に円満成就を待つ状態になってしまいました。しかし、師父は「二〇〇三年旧正月での説法」で「何もせず、ただ待っていれば、(皆笑って) これは圓満成就することができません」とおっしゃったことがあります。結果はどうなったのか想像できるように、安逸心と恐れる心及びいろいろな人心の下で、母は少しずつ少しずつ大法から離れてしまいました。
 
 だんだん母は大法弟子への迫害を理解できなくなった様子でした。甚だしきに至っては文句と不満があふれ、同修が法を実証する行動に対しても反対の意見を持つようになり、大法の本も読まなくなりました。その後、師父と大法に不敬になってしまいました。そのため、虎視眈々と狙っている旧勢力が、母にますます多くの虚像を見せました。時々偽の経文が届き、一部の学習者の法に基づいていないところが母の目に付き、大法弟子が迫害されている状況も母の耳に入り、佛教を修する人も憚りなく母に彼らのものを宣伝するようになりました。だんだん、母は常人の仕方で病に対処し、話と行いもすべて常人のようになって、法を実証するために大法弟子が家に訪ねてくることも、一切断るようになりました。
 
 このとき、母は完全に常人の次元に落ちてしまいました。師父がおっしゃるように「いったん私に対して不敬になったら、旧勢力はこの人があまりにも悪いと思い、凶悪な手を下すのです。もちろん、それらは決してすぐにあなたを消滅するのではなく、それらはあなたを導き、ますます多くの虚像をあなたに見せ、あなたの心がますます正しくなくなるようにし、師父に対するあなたの心が魔のものになるように、あなたを邪道にまで導くことによって、あなたたちに大きな罪を犯させています」(「二〇〇三年旧正月での説法」)
 
 数年間、母は毎日街で目的もなくぶらぶらして、悪いことはしませんが、しかし、大法から離れた生命としてどんなに悲しく、絶望的になったことでしょう! 母の表面は分からないかもしれませんが、分かっている一面と母の宇宙体系の中の計り知れない衆生はどんなに焦っていたことでしょう! 物事がうまくいかないとき、特に、兄弟たちが母の世話をしないとき、母はいつも悲しくて泣きながらこう言いました。「毎日毎日、私は町中をぶらぶらして、私は一体なにをしているのでしょうか?」
 
 私は地方に住んでいますので、一年中帰る機会もなく、その上、仕事もとても忙しく、ただ母の状態が正しくないことを知りましたが、当時の私は師父の新しい経文も見られず、どうすれば助けてあげられるのか分かりませんでした。
 
 喜ばしいことに、2005年の後半、師父のご加護の下で、明慧ネットを見ることができ、やっと手に入れたたくさんの経文を勉強して、悟れなかったたくさんの法理を知るようになり、それから真相を伝え、師父に手伝って法を正す流れに飛び込みました。母に心配をかけたくない、母から妨害されたくない、母はまだ受け入れないと考え、ずっと母に話しませんでした。その数年間、母はずっと常人の生活を送っていました。何をやっているのかも家族は一切知らなかったのですが、この間の経験を通して、後に母の誤解を解く基礎を築きました。
 
 2009年が明けて家に帰ったとき、母はすでに確として佛教を修めており、ついに事情の重さを知りました。このとき明慧ネットでたくさんの大法弟子が書いた、昔の同修を再び連れ戻すという文章を読んで、師父の話がずっと耳元で響きました。「私がどのように考えているのかをご存知でしょうか? すべての大法弟子を私は見捨てず、皆私の身内」(『各地での説法六・アジア太平洋地区学習者会議での説法』) 「皆さんも軽々しく誰それを見捨ててはいけません。この人にどういう過ちがあっても、どのような人であっても、私はこの人に機会を与えたいのです。もちろん、人類社会にはなんと言っても、既にだめになった世の人々がいるので、好きなようにさせればよいのです。今日主に大法弟子が更に良く行わなければならず、法を得た人を大切にすべきだということについてお話しました」(『各地での説法四・二〇〇四年シカゴ法会での説法』)これで私は、母を再び大法の中に連れ戻す決意をさらに固めました。しかし、実際はそう簡単にできることではありませんでした。
 
 最初の説得は、失敗でした。私は母に「大法は本当の真理で、宇宙の法理です。大法の良さもお母さんは知っているでしょう? 師父は私たちを済度しに来られました。地球上で師父のような人をまた見つけられるでしょうか? 師父が説かれた法理を誰が説けるでしょうか? 弟子にいかなる問題があっても、師父はすべて回答できます。いかなる人もできないことです。しかも師父はずっと私たちを善に導いてくださっているのですよ!」と話しました。母はかえって「あの誰々さん(以前知っている大法の学習者)の心性は私ほどではない、あんなにたくさん法輪功の人が迫害されて死んでしまったのに、なぜ守らなかったのですか?」と言いました。私は「それは彼らの心性の問題です。よく修めず、師父と大法の要求どおりにやっていません。師父は大法弟子を守られますが、無条件で常人を守るわけにはいきません」と母に答えたのですが、いくら話しても母を説得できませんでした。
 
 二回目の説得は喧嘩別れになってしまいました。私は母に「共産党はどれだけ邪悪なのでしょうか? 運動を行うたび毎回たくさんの人が迫害によって死んでしまい、大法と大法弟子への迫害はさらに歴史上なかったもので、現在、大法弟子がやっているのはすべて迫害に反対し、衆生を救い済度するためにやっているので、政治と関係がありません。しかも今発生している多くの悪いことはすべて別の空間にある悪くなった生命——旧勢力が行ったことです」と話しましたが、母はまったく信じてくれず、「修煉するなら自分で修煉すればいいのに、なぜ北京へ行ったの? 政治に参加しないって言ったじゃないの」と言いました。
 
 時に、中共が作った国民党と共産党の戦争のドラマを見る母は、見ながら一人言で、「共産党だってこの天下を手に入れたのも容易なことではない」というような話をして、どうしようもありませんでした。「お母さん、どうしてこんなに愚かなのですか?」と困ってしまいました。
 
 (続く) 
 
2010年11月06日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/25/231453.html

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