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人心か正念かで、全く違った結果になる


文/中国の大法弟子

(明慧日本)師父は『転法輪』の中で「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」と説かれました。法を正す時期の大法弟子として、魔難の中で関を乗り越える時も、邪悪の迫害の前でも、正念を持つかあるいは人心で対処するかによって、その結果は天地の差があります。ここで、私は修煉の中でこの面の経験から教訓をまとめました。
 
 2000年、同修と北京へ法を実証しに行くことについて話し合っているとき、私は何も考えずに、「長くても労働教養3年ぐらいだから、たいしたことはありません」とつい口から出ました。当時、執着することはなく、意気込んでいましたが、ほかの同修は何も言いませんでした。結局、邪悪にこの隙に乗じられ、私は3年の労働教養を受けました。ほかの十数人の同修は、数日あるいは長くても数カ月しか拘禁されませんでした。そのとき、どうやって法を守り迫害に反対するかについて、はっきりした理智的な認識がなく、法を基準として測るのではなく、血気さかんに常人の「勇敢に前へ進もう」という精神で行っていました。当然のように、北京へ行けば迫害されると思って、迫害と法を守ることが必然的につながっていました。私が言った話は、つまり迫害を恐れない、迫害されてもたいしたことはないという意味でしたが、思い返してみれば、長い間の迫害は自分が求めてきたもので、人心が招いたもので、教訓は十分に深刻でした。
 
 2002年、邪悪な陰謀によりわが市の大法弟子を大幅に迫害しようとして、私たち夫婦から手をつけようとしていました。一晩、夢の中で驚くような場面を見ました。たくさんの人が天上にあるとても綺麗なお茶屋で下界を望んでいたところ、2メートルぐらいの大きなカエルが仰向けで上を見ています。私は「おまえのようなものが、まだ上へ上りたいのか、悪い妄想だ」と言ったら、そのカエルは口をあけて吸い込もうとしたため、私はもう少しで落ちていくところでした。
 
 続いて、もう一つの夢を見ました。十数人が一列に並んでいましたが、全員が麻痺したように、どう呼びかけても目を覚ましませんでした。仕方なく私が1人で魔の巣に飛び込むと、邪悪が一列に並んで、太鼓を叩きながら出てきました。翌日、警察が会社へやってきました。最初、私は人心でリーダーの警官と大喧嘩をして、一歩も譲りませんでした。リーダーの警官も負けずに大声で叫び、勢いは恐ろしいものでした。突然、師父の発正念についての法理を思い出し、あなたと喧嘩する必要はない、発正念をしようという一念が出たとき、1分もかからないうちに、そのリーダーの警官はぼうっとして、動けなくなり、じっと座って何も言いませんでした。丸々30分座って、ずっと帰るまで一言も言いませんでした。私は初めてはっきりと正念の威力を体験しました。
 
 この体験があって、3日目に同修の妻が邪悪に公安局へ呼び出された時、私は丸一日、正念を発し続けました。夕方、同修の妻は危険を乗り越え、安全に家に帰ってきました。しかし、他の同修が続々と不法に数カ月拘禁されました。本当に人心か正念かによってまったく違った展開になるのです。人心を用いて、悪の手段で邪悪に対処したら、トラブルを激化させてしまい、少しも役に立たなかったのですが、正念を用いたら、頭がはっきりと理智になり、威力は強大で邪悪は遠く逃げてしまいます。
 
 2004年、邪悪が再度、私を連行しました。連行される前に、師父は何度も常人を利用して私を注意させ、甚だしきに至っては直接電話をかけてきて邪悪がすでに家宅捜査をしている、逃げるようにと教えてくれたのです。しかし、私は問題の厳しさを認識できなかったので、そのまま事務所に座って発正念を続けました。公安局まで連行され、やっと目が覚めて、私を見ている2人の警察が寝るまで発正念をしました。2人の警察は本当に寝てしまって、私は静かに部屋から出ました。階段を下りようとしたところ、妻(私の前に連行された)が大声で話しているのが聞こえて、思わず考えを変えて、直接妻が話している部屋へ入りました。こうして逃げる機会を失ってしまいました。
 
  結局、妻は当日家に帰って、かえって私が邪悪に直接留置場へ送られました。留置場へ着いたとき、邪悪は何の「口実」も掴んでいないと思って、最大でも1カ月ぐらいの拘禁だろうと考えました。まだ真に問題の重大性が分かっておらず、心性における漏れも探さず、長時間の発正念で邪悪の迫害を解体しなかったことで、かえって常人の方法で人脈のある同級生に連絡して、常人の力を借りて釈放されることを望んでいました。結果は言うまでもなく、邪悪が偽の証拠を作って、5年の不当判決を下しました。留置場の所長もびっくりする結果でした。
 
 このたびの教訓は最も痛ましく、損失も一番大きかったのです。この過程の中で、自分の多くの人心を十分に暴露しました。一つは理智を失い、安全に対する意識が浅かったのです。何度も迫害を受けてきたにもかかわらず、依然として教訓を汲み取りませんでした。電話を受けたとき、場所を変えて正念を発するべきだったのですが、正念も邪悪の要素に抑制されたことで、ぼんやりしました。二つ目は、情が重いことです。公安局から逃げられたのに、妻を心配する心で、自ら邪悪の巣に入り込んでしまいました。実は邪悪が真に迫害したいのは私であって、彼らは妻を迫害できません。三番目は、肝心なところ正念で対処せず、常人の方法で解決しようとしましたが、結局は解決できませんでした。
 
 「これほど大きな法があり、正念の中で大法が皆さんとともにあり、これは絶大な保障です。正念が足りず、法に符合していなければ法の力から離れ、孤立無援のように見えます。大法の事を行っていても、法に符合しなければならず、そうでなければ、法の力がありません」(「マンハッタン説法」) 本当にそうですね。大法弟子に正念がなければ、保証もなくなり、法の力がなくなり、孤立無援になります。逆に、大法弟子として正念さえあれば、危険を乗り越えられ、「柳暗花明又一村」と言うように眼前に新たな世界が開け、奇跡が起こります。 
 
2010年11月09日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/25/231458.html

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