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先天性脳性麻痺の私は、法輪大法を修煉して新しい命を得た


文/中国河南省の子供弟子

(明慧日本)私は1998年に友達の紹介で大法の修煉を始めました。母は中共に深く毒され、小さいときから中国共産党の無神論の影響を受けて、宗教を信じず、もちろん法輪功も信じませんでした。その時、私はなぜか煉功場に行きたい一心で、母もしかたがありませんでした。母が私を連れて行かないと、私は泣き続けました。私の記憶が最も深いのは小雪が降る冬の日、父も出張しいて、母は「今日は行けない」と言いました。私が泣き始めると、母は本当にどうもしようもなくて、弟に掛け布団をしっかり被せて、私を抱いて行きました。
 
 その夜はとてもひっそりと静まっていましたが、私の心の中はとても楽しく、私はこうして法輪大法の修煉を始めました。
 
 大法が私に第二の命をくれた
 
 私は庶民の家に生まれ、弟と双子です。私達はこの家に限りない幸せを持ってきましたが、1歳になっても、腰がぐにゃぐにゃして、まったく座れませんでした。両親は私と弟を連れて病院に行って検査をした結果、先天性の脳性麻痺だと知らされました。この結果は家庭を築き上げたばかりの夫婦にとって青天の霹靂でした。
 
 それから両親は仕事をやめて、私達を連れてあちこちで治療をしました。毎日私は病院で薬を飲んだり、注射されたり、点滴注射をされたりしたので、お医者さんが私の名前を呼ぶだけで、わあわあと大泣きしました。治療を受けても効果はなく、両親はすべての貯金を全部使ってしまいました。父は私が良くなるとかたく信じて、一縷の望みさえあれば、財産を使い果たしても私達のために病気を治療しようとしました。私達の病気を完全に治すことができさえすれば、父はすべてを払おうとしました!
 
 しかし数年治療をしても、病気を完全に治すことができないだけでなく、もともと豊かでない家庭はいっそう泣き面にハチで、それから借金がたくさん増えました。父は少しも好転しない私を見て、すっかり絶望してしまいました! 父は病院で苦しむ私を見るにしのびず、私の手術が終わると、家に連れて帰るつもりでした。私は今も憶えています。私が手術を終えて病室に戻り、麻酔がさめて、目覚めた時、父が私の側でむせび泣くのを見ました。この時、私は初めて父の泣く姿を見ました。私は本当に父の姿を見たくなく、この姿は本当にとても忘れ難いものでした!
 
 私達にいかなる望みも見えない時、母の友人が母に教えました。「聞くところによると法輪功をやるととても良いそうよ。あなたの娘も良くなるかも知れないから、あなたは娘を連れて行った方がいいよ!」 しかしその時、母は信じませんでしたが、私が行こうと泣き叫んだので、母は仕方なく私を連れて行きました。煉功場に行って、私が初めて受けた感じは、そこがとても穏やかだということでした。彼らが煉功する時、私はそばで座禅をしました。座禅をして本当にとても心地良く、少しも痛くありませんでした。以前は私が弟より深刻でしたが、不思議なことに私は大法を修煉してから、座ることができただけでなく、立って歩くこともできました。父は私の変化を見て、久しぶりに笑顔が戻りました。
 
 大法が私の家庭を円融した
 
 以前、我が家は両親が1日中、私の疾病のためにけんかをして、1日中涙で顔を洗っていました。両親は家から出て他人の話を耳にしただけで、私達の話をしていると思い、涙がハラハラとあふれ出て、夜も眠れませんでした。
 
 母は法輪功の修煉をしてから、人が完全に変わり、家を出て外部と接触しても、2人はけんかをすることがなく、家庭は穏やかになり、今、私の家はとても調和がとれています。特に、話したいのは私の父のことです。父は真、善、忍の基準で自分に要求し、いつも他人のために考え、他人と衝突が発生した時、我慢して譲ることを学びました。友達が父に誰かとけんかしたと訴える時、怒っているとき、父は真、善、忍の法理で相手を諭し、相手をもう怒らないようにさせます。私は父が母よりよくやったと思うときもありました。
 
 大法が父を変え、私の家族を変えたことを知っています。本当に慈悲で、偉大な師父が私にこんなに貴重な大法をくださったことに感謝しています!
 
2010年11月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/7/232142.html

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