■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/13/mh141621.html 



どうしようもない、と思う心を取り除く

(明慧日本)同修と接する中で、最近あることに気づきました。一部の同修には、一種のどうしようもない心境が心の中に潜んでいます。その表現はさまざまで、邪悪の連行や迫害に対してどうしようもないとか、長期的な病業の妨害に対してどうしようもないとか、心性上の関を長期に乗り越えられないのはどうしようもないとか、学法で心が静まらない、向上が遅いのはどうしようもないとか、同修の正しくない状態、執着心を取り除かないことに対してどうしようもないなど。こういう同修の表情は苦しく、気持ちも落ち込んでいて、話すときもいつもため息をしています。この心を取り除かないと、私たちの修煉の向上、正念の発揮、衆生を救い済度することに影響を与えてしまいます。
 
 私たちは法を正す修煉の中で困難に面したときや、魔難に面したとき、必ず正念を持ち、自分を真の修煉者——法を正す時期の大法弟子、世間の覚者、師を手伝う大法弟子と見なすことができれば、自信があふれてきて、微笑みながら対処することができるようになり、それで何か自分に影響することがあるでしょうか? 根本から言うと、必ず自分に正念を持ち、師を信じ、法を信じるということです。修煉自身は難しくなく、難しいのは心を放下できないからです。その心を放下できたとき、初めて「柳暗花明又一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません。法を正すことがすでに最後に入って、圧力を感じるのは私たちではなく、それらの大法を破壊することによって絶望的になった邪悪であるはずです。法理を正しく悟り、大法を修煉することは嬉しいことなのです。人を救い済度することも楽しいことなのです。
 
2010年11月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/8/232156.html

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