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真に修める


文/安徽省の大法弟子 李玉蓮

(明慧日本)私は2003年に法輪大法の修煉を始めた若い弟子で、家族には何人も長年修煉している同修がいます。幼いころから私は甘えんぼうで、我慢ができず、よくかんしゃくを起こしました。修煉してからずっと着実に修めず、大法の本をちょっと読んだり、家族と一緒に真相資料を配ったりしましたが、煉功をしませんでした。2007年に出産してから仕事に復帰して、忙しい生活のリズムの中でたまに大法の本を読みましたが、修煉は停滞していました。2009年、夫と喧嘩して、仕事も上手くこなせず身体が悪くなりました。いろいろ考えて、私はやっと着実に修煉をしようと思いました。
 
 今年5月、私の両親が家に来たいと言っていることを夫に伝えました。私は1人で今の所に嫁いできたため、家族とは離れており、めったに会うことがありませんでした。それで、私は夫にレストランの予約をしてほしいと言いましたが、夫は大丈夫、その時に直接行けばいいと言いました。「万が一、席がなかったらまずいでしょう。私の両親はめったに来ないのだから」と言いましたが、夫は「俺は仕事が忙しい、そんなことをする暇はない」と言いました。私は心の中で不平に思いました。あなたの両親が来るなら、きっと喜んで予約したでしょう。私があなたの家族をもてなした時は嬉しかったでしょうと思って、口に出して夫と争いました。修煉者は喧嘩をしてはならないと思うものの、なかなか自分の怒りを抑えきれず、夜寝るまでプンプンしました。ごろごろしながらずっと姑との間に起きた今までの細かい争いを思い出して、考えれば考えるほど怒りがこみ上げてきました。
 
 私の不眠症は修煉によって治りましたが、その日は明け方4時までずっと眠れず、完全に常人に戻りました。突然、非常に悪い念が湧いてきて、その念に刺激されて警戒心が生じました。この考えは私のものではありません。私はしっかりと学法しなければならないと思いました。そこで、本を持って読もうと思いましたが、なかなか静かに読むことができず、しかもあの良くない念がずっと生じてきて、何かの力で抑えられたように感じました。決してこれは自分ではないと分かったので、私は本をそばに置いて、自分の空間場をきれいにするように発正念をしましが、吐き気までして、邪悪の念が強く続きました。いったん私が発正念を止めたらすぐに良くない思想業力が強く頭を攻撃してきます。そこで、私は師父の法像の前に跪いて、思想業力を消滅するように師父にご加持をお願いしました。
 
 普段は「真、善、忍」を口にしているものの、真に実践していないと今やっと分かりました。自分の良くない念を取り除こうと思ったらすぐに胃が痛くなり、トイレで吐きました。思想業力を消滅しようとすると吐き気がして、発正念を止めたら思想業力が浮かんできて、繰り返して何回も吐きました。普段、夜の煉功をする時には電気を消しますが、その夜はとりわけ怖かったのです。最後に一回吐いてから私は正念を持って、大法弟子は何も恐れないと言って落ち着きました。それから、私は師父の法像の前に跪いたとき、今度は涙もなく、恐れもなく良くない念をなくしていました。今の私は真の私だと思いました。
 
 『論語』を暗唱した時に、急に悟りました。修煉とは一体何でしょうか、返本帰真とは何でしょうか。師父は我々に根本的に常人の観念を変えなければならないと教えてくださったのです。私の場合はずっと常人の執着心を抱えていたので、旧勢力に隙に乗じられたのです。この時、もう朝の5時になっていました。続けて私は『転法輪』を開いて、たまたま第三講の「師は学習者に何を与えたのか」を読みました。中に「このような例は数え切れないほど多いのですが、いずれも危険に至るようなことはありません。誰でもこんなことに遭遇するとは限りませんが、一部の者は遭遇することがありえます。遭遇しても、しなくても、いかなる危険もないことをわたしが保証します。しかし一部の学習者は心性の求めるところに従わずに、動作だけをやっていて、心性を修めようとしないので、煉功者とは言えません」と書いてありました。
 
 本当に師父に対して申し訳ないことでした。いつも外で真相を伝えて、人を救い済度する大法弟子が家で家族と口喧嘩してしまって、これはどれだけ偽善なことでしょうか。人を救い済度することも慈悲心によるものではなく、自分の修煉の次元を向上させるため、自分の威徳のためで、衆生のためではありませんでした。このすべては自分がまだ名、利、情への執着がある証しです。実は当時、夫が別に悪いのではないのですが、自分が深読みして、自分の両親は自分を育てるのに苦労したと思い、自分は遠いところに来て、両親の世話をすることができないとか、夫の家族が良くないとかいろいろ考えました。私心、名利心(レストランに行ってメンツをほどこす)がこれだけ強かったことに目覚めました。ずっと自分が金銭や名利に淡泊だと思っていたものの、心の奥には名、利、情へ頑固に執着していました。そして、このすべてが私の修煉に旧勢力から迫害される口実になったのです。
 
 師父は内に向かって探すようにと言われましたので、真に探し当てたら、本当に師父が言われたように「もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」(『転法輪』)となります。ここで、慈悲なる偉大な師父に感謝いたします。私を助けてくださった同修に感謝します。 
 
2010年11月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/30/231664.html

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