海外交流会での発表文章を読んだ感想 文/黒竜江省の大法弟子
(明慧日本)最近、明慧ホームページに連続して近頃の海外の交流会での発表文章が載せられています。私は同修の交流文章を読んだ後、自分の観念をなくして、心性が高まり、体の奥から表まで震撼しました。
今日読んだのは「根本から自分を変て、師父と大法を信じる」と「自分に確信が持てない状態を根から取り除き、自分が大法弟子に相応しいことを心から理解する」です。前の文章は半分まで読むと自分も似たような問題があると悟りました。心の中でいつも自分の考えに執着していて、時には法を読むとき、師父がどの言葉を使えばもっとふさわしいかなどの念が出てきて、間違いだと気づくのです。しかし、その考えの根元を深く掘り出せませんでした。
しかも、今まで師父を信じ、法を信じることがあまりできていませんでした。師父の「オーストラリアの学習者に対する説法」で、人類の未来に大きな出来事が起きるとありましたが、私はずっと疑っていましたが、心の底に隠していました。心の中では、もうこんなに時間が経っており、現状はどうなっているのか、などと未来を疑いました。師父の説法で、師父の話を聞かないことは小さな問題ではないとも言われました。私のような薄汚い人間の考えは、すでに大法弟子の状態を外れていました。師父を信じ、法を信じることはとても厳粛なことです。師父を信じないなら、私たちは何を修煉しているのでしょうか?
実際、これは長い間私を困惑させている問題でもありました。時々私は完全に師父や法を信じることができず、「何も求めずに得る」ことができませんでした。心の中はいつも純粋ではなく、学法しているときに「学法をすれば必ず精進できる」、「最近自分の状態も良いし、母親の体の良くない状態も治るだろう」などの求める心がありました。そして、時々情に左右されて、映画やドラマから脱けだせなくなり、長い間この問題が解決できませんでした。自分ができないと思うことがまだいっぱいありますが、思い出せません。それはおそらく同修の文章を読んで、その中から啓発を受け、それらの考えさえもなくなったからだと思います。
それらの考えは私の命の源から来たのではなく、旧勢力が私の人心の隙に「障害」を形成したのです。問題の実質をしっかりと理解できず、これらの要素が自身の空間で悪い作用を働いていました。しかし理解すれば、法理に照らせばすべてがハッキリするのです。同修の文章を読んで、ふと頭の中に『転法輪』の中の「大法無辺という言葉があり、どこまで修煉できるかは、あくまでもあなたの心の修煉次第で、忍耐力と苦しみに耐える力にかかっています」の言葉が浮かびました。突然、自分の心の中に「法」の概念が無辺に広大に現れました。頭の中で「私はできる!」と肯定の念が映し出され、以前に感じたできるわけがないと考えていたことも、師父の我々に対する要求を成し遂げることができるのだと思うようになりました。
ここ何日か、交流会での発表文章を読むたびに深く心を打たれ、同修の純粋な心と言葉に感動して涙が止まりません。それと同時に、同修が法に対して責任を負う態度に感動し、自分の執着心の多さと修煉の不足にたくさん気づきました。私は海外の交流会に参加することはできませんが、精進する良い機会を与えていただいたことを、心から嬉しく思います。そして、心から、明慧ネットが国内にいる同修たちに良い機会を提供してくれたこと、国内の同修たちにも大法の盛大なる交流会を感じられたこと、同時にそれぞれの差を見つけ、本当に一つの全体になれたことに感謝を申し上げます。
2010年11月15日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/11/2/231822.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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