■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/17/mh182114.html 



内に向けて探し、詰まった下水道が奇跡的に直った

文/中国河南省の大法弟子

(明慧日本)先日、我が家の下水道が2回も詰まってしまいました。1回目に30元の出費で直してもらいました。しかし、数日後の昼前に、また詰まりました。夫は不機嫌な顔をして愚痴をこぼし始めました。夫のそんな顔は本当に見たくもないのですが、私は修煉者であり、夫とけんかをするわけにはいかないと思い、黙々と何回も水を流してみました。結局、うまくいきませんでした。
 
 昼からも何回も流してみたのですが、ずっと駄目でした。夫はとうとう私にけんかを売ってきました。私も本当に我慢できなくなって夫と言い争いになり、「電話1本かけて、業者を呼べばすむことなのに。けんかをするほどの意味があるの? トラブルが起きれば解決方法を探すのではなく、いつも愚痴ばかりこぼして。詰まっているのは現実なのに、あなたはどうしようと言うの?」と言いました。また、「あなたは私にどうしろと言うの?」と憎々しげに余分な一言を足してしまいました。夫は激怒して、大声でしばらく騒いでから、扉をパンっと閉めて家を出て行ってしまいました。
 
 その時、私はとても腹が立って一人でぼんやりと座り、脳裏に夫の多くの「駄目なところ」を思い出していました。何かトラブルが起きると、夫は解決方法を考えるのではなく、ひたすら愚痴をこぼします。理性に欠けていて、一人前の男らしくありません。私はますます腹が立ってきて、「もし修煉をしていなければ、きっと夫と離婚していただろう」とも思いました。その時、ふっと修煉のことが頭に浮かび、そういえば、今は学法の時間だと気づきました。
 
 手を洗って『転法輪』をめくると、直ちに目に映ったのはこのような内容でした。「われわれの本当に意味する悟は、煉功過程における師の説いた法、道家の師が説いた道、修煉過程において自分が出会った苦難などを理解できるかどうか、受け入れられるかどうか、自分が修煉者だと悟れるかどうか、修煉過程においてこの法に従って実行できるかどうか、ということです」
 
 私は「真・善・忍」を修める修煉者であり、先ほどのように夫と向かい合ってけんかをするのは、「善」も「忍」も守れていないということです。夫が私に向かって怒ってきたのは、私の心性を向上させるためではありませんか? それを夫と争うなんて、私は夫と同じ次元に落ちたのではありませんか?
 
 本当に内に向かって探せば、非はすべて私自身にあると気づき、私はとても後悔しました。引き続き法を学び、読めば読むほど師父の言葉に心を打たれました。「功法を修煉すること自体はそれほど難しくなく、次元を向上させること自体には、それほど難しいところはありません。人間の心を捨てられないから、難しいと言うのです」(『転法輪』) これはまさに私のことを言っているのではありませんか? 私は自分が修煉者だと分かっていますが、肝心な時、本当に次元を高める時になると、常人の心がいつも勝ってしまいます。修煉者としての私が、常人の夫と向かい合ってけんかをするなんて、私は自分を何だと思っているのでしょう! 私は必ずこの常人の心を放下して、真の修煉者になります!
 
 この心を放下した瞬間、目の前がぱっと明るくなり、それはとても心地良く、素晴らしい感じでした。私は夫が帰って来たらすぐに謝ろうと思いました。
 
 私は、また水を流してみました。本当に不思議なことに、7時間以上詰まっていた下水道が突然、通るようになりました。さらに不思議なのは、厨房の蛇口から何日もポタポタと水漏れしていましたが、今は、一滴も漏れなくなっています。本当に人心を放下すれば、すべてが順調になるのです!
 
 夫が帰って来ました。夫の険悪な表情を見て、私は「もう怒らないでね。私が悪かったのよ、ごめんなさい」と言うと、夫はとてもいぶかしそうな顔をしました(以前、私はこんなに誠意を込めて自分が悪かったと認めたことはないので)。そして夫は笑って、気持ちよく家事の手伝いをしてくれました。
 
 これはとても小さな出来事ですが、私の修煉の不足を暴き出しています。長年、私は家の中で大法を実証することもなく、夫は真相を聞こうともせず、「三退」もしないのは、私の修煉の不足に起因していたからです。これからは、師父が要求されたとおりに、家においてもどこにおいても、しっかり「三つのこと」をやり遂げていきたいと思っています。 
 
2010年11月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/29/231635.html

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