■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/11/18/mh193522.html 



知識人が『転法輪』を暗記した体験

文/中国の大法弟子

(明慧日本)先日、私は再び『転法輪』の暗記を始めました。これは3回目です。『転法輪』を一文字も漏れずにすべて頭の中に入れられるのは、どれほど幸せなのでしょうか。
 
 2年前、私は2回も大法の暗記に挑んでいましたが、毎回第1講を暗記し終わらないうちに、難しくて覚えるのが遅く、とうとう自信がなくなって諦めたのです。この間の暗記を通じて、2年前の失敗した原因もやっと分かりました。
 
 学生時代に私の記憶力はとても良くて、いつも試験の直前に本を読んで覚えて、良い成績が取れたので、同級生によく「スーパー記憶力」と褒められました。それで、大法を暗記する時も私は学生時代のやり方で、まず段落の中心内容をつかんで、そして各段落の構造を分析し、文と文の間の論理関係を見て、このような常人の学習方式で『転法輪』を覚えようとしましたが、かえって一種の障害になりました。
 
 常人のいかなる理論も常人の次元を超えていないため、私は一回教材を読んだら頭の中で全体をつかんで、それから暗記すればとても簡単なことです。『転法輪』の場合はまったくそれと違います。『転法輪』はとても奥深くて深い内包を持つため、学習者は誰もが師父の言葉の奥義を完全に理解したとはいえません。私は段落の中心内容をつかんで、文型構造の論理関係を分析しようとする時、いわゆる「論理」がなかなか見当たりません。五里霧中に暗記できなくて、今の部分を読んでいると前の部分をすぐ忘れます。そうですね、宇宙の大法は常人の考えで評価できるものではありません。だから私はとても難しいと感じて、それが以前の2回の暗記が失敗した原因です。
 
 今回、もう一度『転法輪』を手にとって、字があまり読めない一部の年配の同修も『転法輪』を暗記できていますが、私はどうしてできないのでしょうか。それで、私は学生時代の暗記方法を捨てて、頭に何も考えずにひたすら何度も何度も読んで、一言一言を暗記して、つまり何の方法も取らないいわゆる「丸暗記」の覚え方を試みました。意外にその瞬間に師父の言葉を思い出しました。師父は『精進要旨』の「法を学ぶ」で、「知識人が大法を学ぶにあたっては、ある最も突出した問題に注意すべきです。つまり、普通の常人が理論的な著作を学習する方法で学んで、即応する名人語録を選んで、自らの行動に照らし合わせるように学んでいて、これは修煉者の向上を阻害しているのです。また一部の者は、大法に非常に深い内涵があり、異なる次元の修煉を指導できるレベルの高いものが含まれていると聞いて、一字一字を詮索していましたが、結局、何も見つかりませんでした。これらの長期にわたる政治的理論の学習で身についた習慣も、修煉に影響する要素であり、法を曲解しています」とおっしゃいました。今まで私の暗記方法は、まさしく知識人の阻害されるところの現れではありませんか?
 
 清浄かつ敬虔な心、および大法に同化したい願望を持ってこそ、はじめて暗記できるのだ、と私は悟りました。それで引き続き努力してみれば、今の文を読むと頭の中に次の文が現れて、すぐに一文を覚えました。時には、何回読んでも覚えられない段落もありますが、その段落に説かれる法理に私はまだ同化していないため、その法理が私の執着に触れて、その執着から生じた思想業力が頭の働きを妨げて、なかなかその部分を暗記できない結果が現れたのだと思います。この時、めげずに続けていれば、きっとその思想業力を除去でき、大法を覚えられると思います。だから、大法を暗記する過程は修煉の過程でもあり、思想業力を消去する過程でもあります。常人のいわゆる近道の暗記方法を放棄してこそ、大法暗記の真の近道になるのだ、と私は悟りました。
 
 この文章を書き出して、同じ困難に遭った同修と交流したいのです。大法弟子は『転法輪』を暗記するのは当然のことで、しかも暗記は全然難しくありません! まだ暗記をしていない同修の皆さん、いつから始まるのでしょうか? 
 
2010年11月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/16/231019.html

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