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海外の同修へ:師父と法を信じることについて(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)海外では、大法弟子が何かのプロジェクトがうまくいかないときは、妨害だと考えます。ここで、協調人に従って行うことについて、個人の考えを皆さんと交流したいと思います。
 
 ずいぶん前ですが、私は協調人として学法チームを作り上げました。最初は参加者が非常に少なかったのですが、時間が経つにつれて参加者も増えてきて、そのうち20、30、40人、最終的に50人以上にまでなりました。人に「あなたのチームで学法したい」と言われると、大変喜んでいました。その時、私はまだ20代だったので、自分を落ち着かせることができませんでした。その後、参加者が増えたので座る場所が窮屈に感じ始め、私は他の場所を探そうと、自宅が広い同修と交渉し始めました。なんとか2つの場所を見つけて、参加者を分散させました。それで、「よし! これは全部自分がやったんだ」と自慢し始めました。師父は「昔の大陸にあった大法弟子の煉功点の責任者は、修煉が良くできているから責任者になったのではなく、仕事をする能力と意欲があるから、責任者にしたのです」(二〇一〇年ニューヨーク法会での説法)とおっしゃっていたように、私も同じ体験がありました。
 
 ある夜、夢の中で、私がいる船に50人ほどが乗っていました。私は船の操縦士でした。しかし突然、船が45度の傾斜で下に進み始めました。前を見ると、そこは大きくて黒い穴であり、周辺は悪いものがたくさん浮かんでいました。私は夢から覚めて、数日間ずっと恐ろしく感じていました。自分に問題があるから、師父が啓示してくださったのだと気づきました。しかし、どのような問題があるのか、いくら探しても見つかりませんでした。なぜならばその当時、私は、たとえ問題があるのなら、なぜ学法チームに参加する同修が増えるのでしょうか?皆さんのために新しい環境を開拓することは、間違いとは言えないでしょう、と思っていたからです。
 
 さらに時間が経つと、日曜日は地域の同修が一緒に広場で法を広める予定でした。しかし、私はそのとき、師父のシンガポール法会の説法のビデオを事前に準備できたので、みんなに同日朝9時に自分の家に来て一緒にビデオを見るように呼びかけました。二つの予定が重なったので、私は同修に対して、師父の説法を聞くほうが重要だとして、活動へ行きませんでした。しかしその後、私と普段連絡のある協調人が私にかけてきた電話の中で「気をつけてください! このまま行くとあなたは大きな問題になります。今あなたはすでに問題を起こし始めています。全体の活動に必ず参加してください!」と責めて来ました。そのとき、私はその協調人の指が、まるで自分の額に当たったかのように感じました。その瞬間、私は悟りました。自分の問題とは、「顕示心」と「自ら魔が生じる」ことでした。その後、参加者に悪影響を与えないように、私は学法チームの協調をやめて、自宅で半年間ほど修煉に専念していました。
 
 もう一つの原因がありました。自分の周りの責任者の修煉状態が非常に悪いと、その時の自分は強く感じていました。大型の法会があると、録音してはならないという規定を設けつつ、参加者が全員参加できないような小さい会場にもかかわらず、皆さんは全員参加したいと思っていました。そこで、私は「協調人にも間違いがあるから、従わなくてもいい」と言って、みんなに録音するように呼びかけました。今から思えば本当に良くないことをしたと分かっています。師父は「今後、誰であろうとも、いかなる大法の各地の責任者や弟子の語った話であろうとも、録音、録画をしてはいけません」(『精進要旨』「永遠に覚える」)とおっしゃっていたからです。
 
 いろいろと例を挙げましたが、自分が最初どのように悟ったとしても、なぜ大きな問題が起きたのかというと、やはり自分がずっと自分のためにやっていたからです。私は学法している、私は皆をまとめている、私が皆のために場所を探している、私が大法のためにやっている、私が師父を手伝っている、などと常に自分が中心でした。今日になってみると、海外の一部の同修たちも同じような考え方を持っていないでしょうか?
 
 しかし、実際の状況はどうでしょうか? 慈悲なる師父から法を教わったからこそ、私たちは今、法を学べるのです。自分に皆をまとめる能力があると師父が見ておられるからこそ、皆をまとめることができました。私たちはただ自分の当初の誓いを実行しているだけです。参加者が増えて、より多くの場所が必要になり、そして師父がある場所が気に入ったからこそ、自分がその場所を見つけることができるようになり、大法のために何かをすることができました。私たちが師父に手伝って法を実証したいという誓いを立てたからこそ、それが実際できたのです。今も同じですが、なぜなら師父の法身は、神韻を通してその場所の衆生を救おうとしているからこそ、私たちが神韻のプロジェクトを協調できるようになりました。師父が、新唐人の形式による衆生への救い済度を認められたからこそ、他の空間で新唐人が衆生を救い済度するすべての要素が整ったのであり、私たちが見えるのは、新唐人の同修たちの不足しかありません。古代の人は何事にも非常に専念していましたが、私たちは自分の方法に固執して、自分の方法のほうが良いとこだわっているだけです。
 
 (続く) 
 
2010年11月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/9/25/230096.html

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