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再び修煉を始めた体験(一)


文/日本の大法弟子

(明慧日本)

 皆さん、こんにちは。私は日本在住の大法弟子で、今年31歳です。私は新しい修煉者とは言えません。私は1998年、中国にいた時に大法を修煉したことがあるからです。当時、中国の修煉環境はとても良かったので、私もとても精進していました。心性を守るほか、大法のどんな活動にも参加して、よく同修たちと田舎に行って、大法を伝えました。このようにして、1999年7.20に至りました。
 
 1999年9月のある日、私は他の修煉者10人と公安局に連行され、私は21日間拘留されました。出所して2、3カ月の間、中国共産党の迫害を恐れて、私はだんだんと大法の修煉を止めました。
 
 修煉を止めた長い年月は、私の健康状態はとても悪くて、よく病気にかかりました。私の体は1本の弱い草のように、風邪がはやる時は、私は必ず風邪をひいてしまう、と周りの知り合いは皆そう言っています。それに、私はいらいらしやすく、いつも怒りっぽいのです。
 
 その後、私は結婚して、日本に来ました。
 
 2008年のある日、私は東大阪市の中国人の朝市で、ある古い修煉者に出会いました。彼は私に名刺を渡して、明慧ネットのURLを教えて、『転法輪』などの書籍を調達してくれました。その時から、私はもう一度修煉の道に戻りました。再び修煉を始めた私はそんなに精進してはいないのですが、修煉の重要性が分かって、今度は絶対にもう修煉を放棄しないと決心しました。
 
 夫は日本人で、結婚してから、我々はずっと夫の両親と一緒に暮らしています。彼の家は代々、ある宗教を信仰しているため、私がもう一度法輪大法の修煉を開始したとき、彼の家族全員が理解してくれませんでした。
 
 はじめて日本に来た時、私も彼らと一緒にその宗教の活動に参加したりしました。しかし、信仰しているのではなく、家族に合わせるためだけでした。もう一度、法輪大法の修煉を始めてから「不二法門」の理に従って、私はその宗教のものにいっさい触れないようにしました。家族のさまざまな不理解に対しても、私は怒らずに、真・善・忍の原則に基づいて対処しました。努力して法を学んで煉功して、しばらくすると、私の体は再び健康を回復しました。私の変化を見て、家族は少し法輪功を理解するようになり、反対もしなくなりました。私は家族に修煉の物語を伝えたり、中国の迫害事実を教えたりして、また日本語版の「大紀元時報」を購読しました。
 
 修煉を再開して間もなく、私は家族全員を誘って、神韻公演を観に行きました。みんなとても感動して、来年も観たいと言いました。それをきっかけに、私は少しずつ家族に法輪功の素晴らしさを伝えて、さまざまな真相資料を見せました。だんだんと、家族の態度は反対から応援に変わり、夫も大法の修煉に入りました。脱党パレードと人権聖火リレーの時、舅と姑も参加してくれました。去年、神韻公演の宣伝を行った時、舅と姑は最終日まで、毎日外に出てチラシを配ってくれました。今年に入ってから、さらに宣伝チラシを配るだけでなく、ポスター貼りにも行ってくれました。また、舅の紹介で10人あまりが神韻公演を観に来ました。舅と姑はまだ修煉に入っていないのですが、神韻のチケット販売を助けてくれるのは、本当に内心から私達を理解したからです。法輪功反対から力を出して助けるまでの舅と姑の変化に、私はたいへん感動しました。家族はすでに連続3年神韻公演を観て、それから毎年観に行きたいと言っています。また、宣伝のほうももっと頑張ろう、と私たちを励ましてくれました。
 
 今から私自身の話をします。私が再び修煉を始めたころ、仕事が忙しくて、お金に対する執着心も強かったので、学法、煉功に費やす時間が少なくて、大法の活動に参加するのはもっと少なかったのです。
 
 去年10月、明慧ネットで「サタンの集会」という文章を見ました。サタンはこう言いました。「彼らにやるべきではない事をさせて忙しくさせるのだ!」、「彼らに時間を浪費するよう誘惑し、貯めたお金より多くのお金を使わせるのだ。いろいろな買い物をするために、毎日11、12時間働かせるのだ」、「彼らの誓いを失わせ、この上なく奥深い経文を学ぶことができないように、宇宙大法との関係を失わせるのだ」
 
 読んでから私は泣きました。この言葉はまさに私の事を言っているではありませんか! 私は毎日12時間働いて、サタンにこれほど長く振り回されたのにまだ自覚しておらず、きっと師父をがっかりさせたと思いました。あと2カ月、神韻公演の宣伝が始まるまで、私はお金に対する執着を放下して、勤務時間を短縮して、外に出ていろいろな大法の活動に参加しなければと思いました。
 
 翌日、勤務時間短縮の願いを上司に申し出たら、却下されました。私は毎日、神韻宣伝は私を必要としている、私はお金に対する執着を放下したい、ほかの同修ができることは私にもできるのだ、と発正念をして、師父のご加持を願いました。師父の経文「法を学びて法を得る、比して学び比して修す、事々対照し、做すところ到るは是れ修なり(『洪吟』「実修」)が、いつも私の脳裏に浮かびます。
 
 これは師父の教えだと分かった私は、きっと師父のご期待に背くことはしない、と決心しました。結局後日、12月からの勤務時間は9時〜17時に変えて、土曜日と日曜日は休みにする、と上司に告げられました。私はとても嬉しかったのです。それから、神韻公演までの1カ月ぐらいの期間に、私は毎日学法して、煉功しました。学法するにつれ、私の思想も次第に変化しました。
 
 それから、私は毎週の土曜日、日曜日に同修と一緒に神韻の宣伝をしました。夫も仕事を休む日に宣伝に参加しました。一般人向けにどういうふうに神韻を紹介したらよいかが分からないため、私は一言一句、紹介文を暗記しました。
 
 (続く) 
 
2010年11月26日

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