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師父と大法を尊敬し、足を組むくせを改めよう


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1997年に修煉を始めた古い弟子で、1998年に法輪大法の交流会に参加した時、次のような印象深いことがありました。法会で足を組んで座っていた新しい学習者2人に、ある年配の学習者が「座るにも立つにも保つべき姿勢があり、足を組むのは常人でも行儀が良いと言えませんね。修煉者としてなおさら足を組まないほうがいいと思います。師父はいつでも周りにいらっしゃるからです。師父は『大志を懐きながら細かいことに配慮し(『精進要旨』「聖者」』の法を語られました」と言いました。
 
  新しい学習者2人は彼の話を聞いて、すぐ足を下ろしました。ほかの同修たちも「師父と大法を尊敬して、細かいことにも配慮すべきだ」と言いました。それから、私たちは二度と足を組んだことがありません。
 
  2004年、私は真相資料を配ったため、当局に不法に3年半の判決を言い渡され、女子刑務所に送られました。私が入った部屋に6人の大法弟子がいて、中に50代の同修Aさんがいました。Aさんはとても冷静で穏やかな人で、同室の同修、受刑者と仲良く付き合い、みんなも彼女をとても尊敬していました。しかし、Aさんは足を組むくせがあり、時に両足を揺らしたりします。その姿勢を見て私はたいへん気分が悪く、何度も注意しようとしましたが、Aさんのメンツを傷つけることを配慮して、2年間ずっと言えませんでした。注意しなかったのは「情」に対する執着で、これは同修Aさんに対する慈悲ある態度ではなく、師父に対しても不敬です。毎回言おうとしてやはり「また今度注意しよう」と思ってしまいました。このようにずるずると長引かせて、とうとうある日Aさんはほかの部屋に移されて、それから会うことがありませんでした。
 
  2009年、私は女子労働教養所に入れられました。1年あまりの間に、私は相次いで同修Bさん、Cさん、Dさんに出会いましたが、彼女たちはみんな足を組むくせを持っていました。Aさんに注意できなかった残念な思いと、Bさんたちを誠心誠意助けたい気持ちを持って、私は自分の観念を放下して勇気を出して、Bさんたちに「足を組む姿勢は良くないと思いますよ。師父は『大志を懐きながら細かいことに配慮し』とおっしゃったことがあります。古代の人々も『座る時は鐘の如く身体を揺らさず、立つ時は松の木の如くびくともせず、歩く時は風の如く素早く、寝る時は弓の如く体を曲げる』と言います。つまり座る、立つ、歩く、寝る時にそれぞれ保つべき正しい姿勢があると言っていますよ」と言いました。
 
  Dさんは、「修煉して10数年来、法を学ぶ時に足を組む姿勢は良くないと思っただけで、他の時に自分を厳しく律したことがありません。実は、師父はずっと私たちの身の周りにいらっしゃると思います。足を組むのは本当に師父に対する不敬なので、今日あなたに指摘されて、私は本当に改めます」と言ってくれました。
 
  長年の習慣を一気に改めるのはなかなか難しく、時々BさんもCさんも無意識に足を組んだりします。何回もお互いに注意し合って、やっとみんなが足を組むくせと足を揺らすくせを直しました。この事を通して、私は最初のころの見ていられない辛い気持ちや、注意する勇気がない「恐れる心」から、理性的で穏やかな態度になり、自分の心性も向上してきました。
 
  今日、私はこの事を書き出して、まだ足を組むくせを持つ同修に、自分の行為を直してほしいと思います。師父は常に弟子の身の周りにいらっしゃるので、私たちは弟子としてどんな時でも師父を尊敬すべきだと思います。同修の皆さん、師父と大法を尊敬し、細かいことに配慮して、常に大法の高い基準で自分の一挙一動を律しましょう。
 
2010年11月30日

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