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厳しい家庭環境の魔難の中で自分を修煉する(一)

文/中国山東省の大法弟子

(明慧日本)大法を修煉する以前の私は、哀れな運命の女性でした。夫はかんしゃくが強い性格で、2、3日に一度は殴られ、身体にあざが絶えることはなかったのです。私たちが結婚して1カ月も経たないうちに、夫は愛人を作り、いまだにその癖がなおらず、次々と女性を変えていました。本人の話によれば、今まで6〜7人の女性と愛人関係にあったと自慢しています。愛人のために金を使わず、家庭を壊さないのが条件と、愛人に約束させたそうです。実のところ、夫はその愛人たちを見下していました。女性はみな愛人と同じように考え、私に対して厳しく監視していました。男性と話してはならず、食料を買いに行くときでも、男性の商人から買ってはなりませんでした。
 
 夫は私を脅迫しました。「お前は、私と離婚しようとか、家出しようとか、私から逃れると思うな! 私が不愉快になれば、気晴らしのため、いつでもお前を殴るぞ」
 
 それは1989年のことでした。当時、私は携帯電話を持っていませんでした。ある日、母方のおばあちゃんの誕生会に夫と一緒に参加することになっていました。日が暮れても夫は帰ってこないので、私は先に行きました。しかし家に戻ったとき、私は、夫を待っていなかったことで殴られました。私はこのことを実家で話したので、その後、私のすべての自由が奪われ、夫の同意がなければ、外出することは許されず、実家に戻ることさえもできなくなり、外出して買い物するときも、時間を決められていました。私の性格も良くありませんでした。時には、夫を殺そうと思ったこともありました。結婚して10年なりますが、私は心身ともに大きなダメージを受け、精神的にも崩壊寸前だったのです。私は地にひざまずき、天に聞いたこともありました。「私は一体どこが間違っていますか、なぜ私にこんなに不公平なのでしょうか?」
 
 私は、幸せなことに1998年に大法に出会い、実家の両親と妹三人も同時に修煉を始めました。修煉を始めたころは、大脳が洗浄されたように、煩悩が消え去り、精神的にも楽になりました。夫との関係も好転し、家庭が睦まじくなりました。しかし、夢のような生活は長続きしませんでした。一年後の1999年、邪悪な中国共産党は法輪功に対して迫害を始め、最初から私の修煉をあまり賛成していなかった夫は、喧嘩の口実となりました。そして、再び私を脅迫し始めました。「俺は愛人を作っても、共産党は私に罰を与えようとしないが、お前らみたいに『真善忍』に基づいて良い人になろうとする人たちを、犯罪行為とみなしている。私が警察に電話を一本かけて、お前の実家に法輪功の資料があるといえば、警察は家宅捜索して、お前らを刑務所にぶち込むことができる」夫はさらに言いました。「お前がいくら私に優しくしても、私は感謝しない。それは私への愛情ではなく、大法の要求でそうなったからだ」私はこのとき、「それでは大法に感謝してください」と言いたかったのですが、話す勇気はありませんでした。夫が怒っているときは、私が話すことを許さないからです。修煉する前に、なぜ私を殴るのかと夫に聞いたことがありますが、夫は理由なんかどうでもいい、殴りたいとき殴るのだと話していました。
 
 長期にわたる圧力の下で生活を強いられ、恐れる心、悔しい心、安全を求める心、バランスが取れない人心で、観念を形成していました。修煉後、「真善忍」に基づいて自分を要求していましたが、時にはよくできませんでした。たとえば、夫は私の目の前で、愛人にメールを送ったり、電話をしたり、実家とつき合わせなかったり、やはり心は穏やかではありませんでした。
 
 私はお産のとき、姑は世話してくれなかっただけでなく、子供の面倒も見てくれませんでした。いつもお金を迫られていました。修煉後、これらのことをきれいさっぱりと忘れ、姑に優しく接し、時には夫の両親を泊まるように誘いました。舅は、「泊まりに呼んでもらうのは嬉しいのだが、心の中で恥じているよ」と言ってくれました。去年、姑は病気になり入院しました。夫の兄妹に負担が掛からないように、入院の費用は我が家が負担しました。退院した姑を我が家に迎え入れ、世話していました。周到に世話していましたので、元気になって田舎に戻った両親は、出会う人に、私のことを褒めていました。
 
 私はいつも「真善忍」に基づいて自分を厳しく律し、会社においても、隣近所においても、良い人であると認めてくれています。2003年に失業した後、仕事を探すことを夫が認めてくれませんでした。そうすると、真相を伝える時間は、買い物の時間しかできませんでした。2005年、私は真相資料を配り始め、「三退」を勧め、真相を紙幣に書いて、真相を伝えていました。そして、市場で数人の同修と出会いました。夫の仕事はとても自由なので、家にいることが多いのです。そのため、私は資料を取りに行けず、同修に五日間に一度、市場で資料をもらいました。私は出会う人に面と向かって真相を伝え、縁のある人を、できるだけ一人も見逃さないようにしました。
 
 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子ネット法会)
 
 (続く) 
 
2010年12月04日


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